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ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓共催…今、明かされる平成サッカー史の舞台裏

ゲキサカ / 2019年4月15日 14時38分

―今では当たり前になったW杯アジア予選のホーム&アウェー方式ですが、1998年フランスW杯の最終予選から初めてそれまでのセントラル方式に代わって採用されました。それだけアジアのサッカーは欧州などに比べて遅れていたということなのでしょうか。
小倉 当時のアジアはお金持ちの国とそうでない国が極端に分かれていて、お金のない国にしてみればセントラル方式のほうが楽なんですね。招待してもらえますし、短期決戦で終わるので、何度も何度も遠征する必要がない。でも、本来はそうじゃない。FIFAのルールは原則としてホーム&アウェー方式ですし、欧州も南米も当然、ホーム&アウェー方式でしたが、アジアだけが違ったんですね。貧富の差が激しかったということも影響していたと思います。

―フランスW杯のアジア最終予選も当初はセントラル方式を想定していて、西アジア勢はバーレーン開催、東アジア勢はマレーシア開催を主張し、どちらも折れなかった。その結果、ホーム&アウェー方式が誕生したというのは面白いですね。
小倉 マレーシアでやりたいという日本の主張に対して、もしもサウジアラビアがオーケーと言っていたら、それで済んだ話だったんですね。もしそうなっていたらホーム&アウェー方式ではなく、セントラル方式で行われていたと思います。しかし、向こうはバーレーンを主張して、日本の主張とは差があり過ぎました。
あと一歩のところでW杯出場を逃した「ドーハの悲劇」
―日本がマレーシア開催を主張したのは、セントラル方式だった1993年のアメリカW杯最終予選の経験があったからでしょうか。中東のカタールで開催され、いわゆる「ドーハの悲劇」により、あと一歩のところでW杯出場を逃しました。
小倉 当時のオフト監督は東南アジアのこともよく知っていて、逆に東南アジアのほうが中東よりもグラウンドの状態が良くないと思っていたんですね。欧州の人間からすると、中東は地理的にも欧州に近いというのもあったのかもしれません。サッカーの環境としては東南アジアより整っていると考えていたんだろうと思います。しかし、あの暑さの中で、しかも短期間の連戦で明らかに日本選手は疲弊していきました。フランスW杯予選の途中で当時の加茂監督に「最終予選がセントラル方式になるならどこでやりたいか」と聞いたら「マレーシアでやりたい」と。それがサウジアラビアの主張とぶつかって、ヨハンソン委員長を怒らせたというのが実情です。でも、今となれば、それで良かったなと。今ではアジアのどの国もホームゲームを重要視するようになりました。日本だけでなく、中国でも韓国でもサウジアラビアでも、ホームゲームにたくさんのファンが押し寄せ、サッカーがどんどん盛り上がっていくようになった。偶然の産物とはいえ、これはアジアのサッカーにとって大きな変化でした。

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