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ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓共催…今、明かされる平成サッカー史の舞台裏

ゲキサカ / 2019年4月15日 14時38分

「ジョホールバルの歓喜」
意外な開催地決定までの舞台裏
岡野雅行のゴールデンゴールで初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」
“ 先に仕掛けてきたのはアルダバルだった。FIFAがAFCの意向を「どうする?」と問い合わせたところ、コンペティション委員長のアルダバルがまたも「場所はバーレーン」と言い出したのだった。そしてそのことを私には内緒にしていた。
 最終予選の方式を巡ってアルダバルと私が激しく対立したことを覚えていたFIFAは私に「アルダバルがこんなことを言っているが、これはオグラも了解していることなのか」と問い合わせてきた。「知らないよ! そんなこと!」と私はまたまた怒り心頭。すぐにチューリッヒに飛んでFIFAのブラッター会長に直談判に及んだ。
「第3代表決定戦の相手がサウジ、イランのどちらになるにしろ、バーレーン開催はあり得ない、移動のハンディが違いすぎる。やるなら、3ヵ国の中間に位置するマレーシアしかあり得ない!」
 するとブラッター会長は「それは、オマエの言うことがもっともだ」と認めてくれて「じゃあ、場所決めはオマエに任せるよ」とまで、その場で言ってくれた。
 私はFIFAからすぐにマレーシアサッカー協会のポールモニー専務理事に電話をかけた。こういうとき、電話でも頼める仲間がいるというのはありがたいことだ。そういう関係を普段から築いておくことが大切ともいえる。
 喜び勇んで「クアラルンプールで第3代表決定戦をやらせてくれ」と頼んだら、ポールモニーは「うーん、それは無理かもしれない」と意外なことを言う。第3代表決定戦の日付は11月16日と決まっていたが、「その日はマレーシアカップがある日だから、空いているスタジアムがない」と。クアラルンプールなら幾らでもスタジアムはあると思っていたが、マレーシア国内の日程まではこちらは把握していなかった。
 ポールモニーは「第3代表決定戦の日程を1日前か後にずらしたらどうか。それならクアラルンプールでやれるよ」と言ってくれたが、もう11月16日とアナウンスしている以上、その日付を変えられないというのがFIFAの考えだった。それで、もう一回、ポールモニーに電話して「どこか本当に空いてないか?」と尋ねたら「あそこが空いている」と推薦してくれたのがジョホールバルだった。”
(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第四章 1998年 フランスW杯予選の舞台裏より)

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