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ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓共催…今、明かされる平成サッカー史の舞台裏

ゲキサカ / 2019年4月15日 14時38分

2002年W杯招致
降って湧いた日韓共催案
2002(平成14)年の日韓W杯。ロシア戦のスターティングメンバー
“ 妥協の産物としてひねり出されたのが共催だった。
 2002年大会の開催国を決める理事会の投票は96年6月1日にチューリッヒのFIFA本部で行われるはずだった。が、その前日の5月31日に無投票で共催は決まった。30日正午まで本当に予想だにしないことだった。
(中略)
 共催はそもそもFIFAの規約のどこにもない、ある意味で超法規的措置だった。アベランジェ会長が土壇場になれば豪腕を振るい、そういう横紙破りの提案は葬り去ってくれるとの期待をわれわれは持っていた。
 そういう自信が崩れたのが30日午後2時過ぎに、日本の招致団が泊まっていたホテルにかかってきた1本の電話からだった。岡野俊一郎さんにFIFAのブラッター事務局長から電話があり、「韓国から共催に同意するレターをもらった。日本はどうする?」と聞かれたのだ。
 招致団は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。”
(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第五章 2002年 日韓ワールドカップ開催より)

―著書では2002年W杯招致に関しても、日韓共催がいかにして決まったか詳細に書かれています。
小倉 我々がもらっていたW杯の趣意書には「一つの国の国境の範囲内」と書いてありました。「国境の中で行われる大会」だと。当時のアベランジェ会長にも何度も確認し、「書いてありますよね」と念を押しました。FIFAからは「これを曲げることはない」とも言われていた。ところが、6選を果たしたアベランジェ会長に対する反発は欧州を中心に広がり、2002年の招致合戦もFIFA内部の権力闘争に巻き込まれていました。UEFAのヨハンソン会長を中心とする反アベランジェ陣営からすれば、アベランジェ会長という後ろ盾を得て立候補した日本に勝たせるわけにはいかないとなり、妥協の産物として共催案が降って湧いたのです。

―W杯として初めての共催でしたが、2026年はすでにアメリカ、カナダ、メキシコの3か国共催が決まっています。さらに2022年のカタールW杯も出場国数を拡大し、近隣のオマーン、クウェートなどとの共催まで検討されています。大会がこれだけの規模になると、単独で開催できる国はほとんどないと考えたほうがいいのでしょうか。
小倉 ASEAN(東南アジア諸国連合)での共催というのも可能性として挙げられていますし、韓国の文在寅大統領は昨年のロシアW杯でFIFAのインファンティノ会長に日本、中国、韓国、北朝鮮の4か国共催を提案したとも言われています。オーストラリアも単独では難しいとなれば、ニュージーランドなど周辺諸国との共催を検討するかもしれません。単独でW杯を開催できるのは中国。あるいはインドが今後さらに経済的に発展し、サッカーがクリケット以上に盛んなスポーツとなってくれば、可能性がないとは言えません。単独開催できるとすれば、その2つしかない。出場国数が32か国から48か国に増えると、試合数も64試合から80試合に増えます。ドイツやスペインなど欧州の国であっても、周りの国の協力がない限り、1か月で80試合を消化するのは難しいのではないでしょうか。

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