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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:大島秀夫という生き方(横浜F・マリノスJY追浜コーチ・大島秀夫)

ゲキサカ / 2019年4月29日 7時3分

 置かれた役割を突き詰めていく内に、照らされてきたのは自身の未来。「言い方は悪いかもしれないけど、北九州に入ってくる子たちのレベルや意識を見ると、『もっとこうした方がいいよ』とか『こうするべきだ』と思うことがあって、それを伝えたり、アドバイスしたり。その中でそれが実際に現れる喜びもそうだし、そういうことに興味を持っていった中で『ああ、指導者になりたいな』って思うようになったのかな」。

 見えてきた“これから”に対して、見つめるべき“今”は自らのイメージとどんどん乖離していく。「北九州での2年目、3年目ぐらいからは、ちょっとずつ引退も考えたね。『ここで終わりだったらキャリアは終わりだな』と思ってたし、最後の年はケガも治らなくて、実はシーズン前からもう決めてた。『これはもう無理だな』って」。

 2016年、秋。クラブから来季の契約はない旨を伝えられた。「そこで正式に嫁さんには伝えて。上の息子は結構ふざけたヤツだから、『もう早くやめちゃえ』みたいに言ってたけど、内心は『絶対やめてほしくない』とか、『サッカー選手じゃなくなるのは寂しい』とか思ってたんじゃないかな。でも、『やめたら他のお父さんみたいに土日遊べる!』とか思ったかもしれない。実際は全然。さらに遊べなくて申し訳ないって(笑)」。

 12月9日。『大島秀夫選手 現役引退のお知らせ』がリリースされる。積み重ねた公式戦の数字は574試合111得点。タイトルには縁がなく、日の丸ともすれ違いながら、ただひたすらにボールを追い掛け続けた大島秀夫が、19年間に渡って積み上げてきた“プロサッカー選手”という誇るべき肩書に穏やかな、それでいて確かな終止符が打たれた。

「やり切った感じがあるから、そんなに“もぬけの殻”って感じにはならなかったかな。もう年俸が現わすように、ガーッて上がって、ガーッて下がっていったから、自然と受け入れられた。現実な話として家族を養わなきゃいけないし、自然とそういう流れだなって。たぶん現役が長かったからそう思えたし、その準備も数年前からできていたから。でも、指導者になって1年目はグラウンドに立ちながら、急に胸がキュンとすることとかあって。『ああ…』って。それは年に何回かあった。『もうあの舞台に立てないんだ』とか『もうあの感覚を味わえないんだ』とかね。そういうのって急に来るんだよ。グラウンドにいると切なくなる時もあったね」。

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