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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:師資相承(関西大一高・芝中信雄監督)

ゲキサカ / 2019年6月18日 20時35分

関西大一高・芝中信雄監督

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 子供たちにさらなる高みの景色を見せてあげたいと願い、下した決断が果たしてどうだったのかという疑問は、きっとこれからもずっと持ち続けていくのかもしれない。口にはしないが、「“監督”だったらどうしただろうか?」ということも、自分自身に問い掛けていくことになるのだろう。それでも、素直な想いも内側から湧き上がる。「正直な所はやっぱり嬉しいです。『佐野先生を全国に連れて行きます』という想いを実現できたので」。13年ぶりに夏の全国切符を掴んだ関西大一高。チームを率いる“顧問”の芝中信雄はその日、何とも説明しがたいようないくつもの感情に包まれていた。

 2010年1月9日。国立競技場は異様な雰囲気の中にあった。高校選手権準決勝。2年生司令塔の柴崎岳を擁する青森山田高に対し、後半44分まで2点のリードを許していた関大一が突如として覚醒する。まずは1点を返して反撃の狼煙を上げると、すぐさま同点弾まで叩き込み、土壇場で試合を振り出しに引き戻してみせる。最後はPK戦で競り負けてファイナル進出こそ逃したものの、『月まで走れ』という印象的なチームスローガンと共に、同校の名前は多くのサッカーファンに記憶されることとなる。

 当時をコーチとして経験した芝中信雄はもともと関大一の出身。高校の3年間は前任の佐野友章監督にみっちり指導を受けた。「僕は佐野先生が30代の時、バリバリの時のキャプテンをやっていましたけど、もうそれはムチャクチャされましたよ(笑)」。そんな佐野の人間性に影響を受け、大学卒業後は母校で教鞭を執りながら、恩師の下でサッカー部に携わる未来を選択する。

「僕は佐野と一緒に約30年やっていました。嫁さんよりも“先生”と一番長くいましたしね」と笑顔で語る芝中。その約30年の中でも印象深いのが前述の国立競技場。日本一を目前に敗退したとはいえ、自分たちの辿ってきた道のりが正しかったことを、大きな注目の集まる晴れ舞台で示せたことが何とも嬉しかった。

 ただ、周囲からは“国立”のイメージで見られるものの、以降はなかなか目に見える結果が付いてこない。夏も冬も全国への出場権を手繰り寄せることができず、グループに経験値を上乗せしきれない時期が続く。そんな状況の中で、佐野が病気療養のために現場を離れることが多くなり、実質的に芝中が全体の指揮を任される。

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