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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:20年後の帰還(ヴィアティン三重・和波智広)

ゲキサカ / 2019年7月8日 22時17分

 1999年。三重県の暁高校を卒業したばかり。まだ18歳だった和波は、ベルマーレ平塚でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。ただ、クラブにとっては激動の時代。メインスポンサーだったフジタが撤退し、主力選手の大半も移籍を選択。古参のクラブスタッフも「存続できるのかもわからない時期だったから、苦労というか混乱していましたね」と当時の状況を明かす。

「僕たちはルーキーだったので、とにかく勝つために、クラブが残るために、必死でサッカーをして、必死でサッカー以外のことも協力しながらやったつもりですけど、そんな大したことはできなかったのかもしれないですね」とその頃を思い出す和波は、早くも春先にJリーグデビューを果たすと、セカンドステージからレギュラーに定着。最終節のジュビロ磐田戦ではゴールまで記録し、チームはJ2降格の憂き目を見たものの、個人としては上々のルーキーイヤーを過ごす。

 仲が良かったのは同い年の西本竜洋。「タツとは同期でね。ホームシックを2人で何とか乗り越えようと(笑)、2人で我慢というか、耐えながら、という思い出がありますけどね。懐かしいですね」。その話題に触れた顔が思わずほころぶ。三重出身と山口出身。慣れない関東での生活を支え合った20歳前後は、いろいろな意味で濃厚な時期だったに違いない。前述のクラブスタッフは、あることを強く記憶している。「凄く大きな“韋駄天”って書いてある横断幕が印象深いんです」。タッチライン際を疾走する姿が、サポーターの熱狂を誘う。

 2000年に主力としてJ2を1年間戦い抜くと、J1昇格が決まっていたコンサドーレ札幌への移籍を決断したため、ベルマーレに在籍したのは2年間だったが、苦難を共にしたクラブへの想いは決して小さくない。「2年でしたけど、自分のターニングポイントになった時期ですし、高卒で入っていろいろ勉強させてもらった本当に特別なクラブなので、今こうやってJ1で頑張ってくれているという意味でも、凄く自慢のクラブですよね」。時間を超えた結び付きを、ベルマーレに感じてきた。

 コンサドーレではキャプテンも経験。左サイドのキーマンとして活躍を続けたものの、2006年から少しずつ出場機会を減らし、チームが昇格を果たした翌年は病気療養に専念したこともあって、リーグ戦の出場はわずかに2試合。2008年3月にクラブから現役引退のリリースが発表される。9年間のプロ生活で積み重ねた数字は、公式戦246試合13ゴール。和波は27歳でサッカー選手という職業に一旦の終止符を打った。

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