『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:20年後の帰還(ヴィアティン三重・和波智広)
ゲキサカ / 2019年7月8日 22時17分
地元の三重に戻り、歩み出したセカンドキャリア。ジンギスカン料理屋を経営しつつ、しばらくしてサッカースクールも開校する。その名も“WANAサッカースクール”。「話をもらった時には、『子供たちのためにもなるし、もう1回サッカーできるのは嬉しいな』と感じたので始めたんですけど、そこで子供たちを教えたのも良かったのかなと。子供たちを見ていて、サッカーを始めた頃の嬉しさや楽しさを思い出したんです」。サッカーと関わっていきたい意欲の炎が、自分の中で改めて大きくなっていく。
2013年。運命を左右する時計の針は、本人の知らない所で新たな時を刻み出す。「ゼロから立ち上げたヴィアティンなので、2年目によりレベルアップしなくてはいけないと考えていた中で、ウチの前監督でもともと暁高校サッカー部でも監督だった海津英志さんが『そう言えば和波は今サッカーやってないよな』と思い出して。それで連絡して頂いたんです」と後藤。かつての恩師から届いた誘いに、和波は決断する。
「そんなに甘い世界ではないですし、それは自分が一番よくわかっていることなので、その時までは現役復帰なんて思ったことはなかったです。でも、Jリーグを目指そうというクラブが立ち上がって、地元の人間だということで声を掛けてもらったので、『はい』と。まあ、不摂生はしていなかったですから(笑)、非常に体のコンディションは良かったかなと思います」。当時ヴィアティンが所属していたカテゴリーは三重県2部リーグ。5年のブランクを経て、土のグラウンドから和波のサッカーキャリアは再び動き出した。
そのカテゴリーも彼の“復帰”には合っていたようだ。「なかなか昔の感覚は戻らないので、県2部、県1部という舞台も、自分のリハビリじゃないけど、そこで感覚を徐々に戻せたのはありがたかったですし、自分にとっては良いタイミングだったかなと思います」。県1部、東海2部、東海1部と毎年カテゴリーを上げ続ける快進撃を披露するも、和波は「僕たちもそんなにずば抜けて強かった訳でもないし、楽に勝てる訳でもなかったので、運が良かったかなと。本当に僕たちも思ってもいない展開が続いてくれて、あれよあれよという感じでした」と口にする。
2016年末に全国地域CLを勝ち抜き、見事昇格したJFLも今年で参戦3シーズン目。クラブ自体も総合スポーツクラブという位置付けの中で、陸上やハンドボールを筆頭に12種目のスポーツに関わっており、「地域の活性化、街づくり、子供たちに夢を与える、というクラブ理念がある訳ですけれど、スポーツを通して魅力のある三重県にしたい気持ちが強いんですよね」と熱く語る後藤の想いの実現に向けて、着実に一歩ずつ前進しているようだ。
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