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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:ピカピカの社会人1年生(桂陸人)

ゲキサカ / 2024年5月28日 19時6分

得意のドリブル勝負に挑む順天堂大4年時の桂

 4年生になった春先は体調も良く、リーグ戦でもスタメンを確保。ピッチ上でのパフォーマンスも振るっており、複数のJクラブから興味がある旨も伝えられていた。プロ入りを懸けたラストスパート。だが、そんな好調はそう長く続かなかった。6月。またもや通達されたドクターストップ。本人も不調の兆しは感じていたという。「暑くなってくると、やっぱりどんどん水分も失われていくんですよ」。桂の名前は試合のメンバーリストから消えていった。

 その年の10月。桂は順天堂大学病院に赴いた。依然としてオファーを出してくれそうなJクラブはいくつかあったが、いろいろな人と話し合った結果、そういったクラブが行う形ではなく、大学と日本サッカー協会の協力を仰ぐ格好で、メディカルチェックを受けることになったからだ。

 詳しいことは聞いていない。聞きたくなかったから。ただ、事実だけは受け取った。メディカルチェックを経たドクターの結論は「日本のプロサッカークラブでプレーすることは難しい」というもの。小さいころから抱いてきた「プロサッカー選手になる」という夢はこの時、うたかたのように弾けて、消えた。

「ドクターの言い方的には『たぶんやめた方がいいと思う』という感じでした。『いろいろな人と話した結果、プロになるのはやめた方がいいと思う』と言ってくれて、そうハッキリ伝えてもらったことは良かったですね。プロになればもっと厳しい世界で生きていくことになるのに、離脱と復帰を繰り返して、パフォーマンスも上がらず、結局何者にもなれずに終わるぐらいだったら、やっぱりやめた方がいいのかなとは、自分でも思いました」。

 海外に行く可能性も模索した。代理人経由で自分のプレー動画を売り込んでもらい、実際に練習参加のオファーももらったが、そこは思っていたようなレベルのチームではなかった。「凄くありがたい話なんですけど、やっぱり現実的なこととして、『そこから上に行けるかな』ということも凄く考えましたし、上に行けたとしてもたぶん日本よりメディカルチェックも厳しいはずで、もちろんチャレンジしている選手はたくさんいますけど、Jで実績がない僕にはそれがあまりイメージできなくて、結局全部お断りさせてもらいました」。

 どんな時もずっと応援し続けてくれた、両親には直接伝えた。2人とも泣いていた。自分も泣いていた。「もうそこできっぱり決めたので、未練はないです」。覚悟は決まった。桂はプロサッカー選手という夢を諦め、まったく違う形で社会人としての第一歩を踏み出すことを決意したのだ。

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