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NHK「新プロジェクトX」で話題の「J-フォン」…統合にかかわった100人の老舗IT企業の物語

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年4月22日 9時26分

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日本テレコム、英米2社と資本提携 /左から、ピーター ボンフィールドBT社長、坂田浩一日本テレコム会長、村上春雄同社長、ジョンDジグリスAT&T社長(東京・港区のホテルオークラ)(C)日刊ゲンダイ

 2022年8月2日、創業32年目にして株式上場したIT企業がある。企業向けのクラウドシステムサービス会社「日本ビジネスシステムズ(通称JBS)」だ。虎ノ門ヒルズに本社を構え、売上高1128億円(2023年9月期)、社員数2500人の大企業ながら、いわゆるBtoBのため、一般の人には接点はあまりない。しかし、この会社の歴史はインターネットという文明の利器が黎明期から現在に至るまで、いかに世の中に普及してきたかを知る上でも面白い。社長の牧田幸弘氏は、慶応義塾大学卒業後の1979年に日本IBMに入社。「ITはこれから主要な産業になるかも」と予感。トップ営業から独立し、1990年に同社を1人で立ち上げた。今回、新刊「なぜ最先端のクラウド企業は、日本一の社員食堂をつくったのか?」(発売:講談社)から、日本のIT史にかかわった物語を紹介する。(以下、本文を一部再編集しています)

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 先日、NHKの「新プロジェクトX~挑戦者たち~」で2000年に発売された「カメラ付き携帯電話」の開発物語が注目されました。番組には、J-フォン(現ソフトバンク)とシャープの技術者たちの世界初の挑戦が描かれましたが、2001年には筆頭株主の日本テレコムが英ボーダフォングループの傘下に入ることで、J-フォンはボーダフォングループに。03年にはJ-フォンは会社名・ブランド名もボーダフォンに変わります。その過渡期に、オフィス移転とシステム統合を手掛けたのが、当時100人ほどの中小企業だったJBSでした。

 いまでは社員数2500人の大企業になったJBSが、大きなプロジェクトを手掛けて会社として飛躍していくのが2000年以降。IT業界にとって革新と進化の時代に入った頃でした。

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 JBSにとって最初の大きなプロジェクトが、2002年に行ったJ-フォンのオフィス移転と、それに続くシステムの統合です。東京の御茶ノ水、初台、信濃町の3カ所にあったJ-フォンのオフィスを、2001年7月に竣工したばかりの愛宕グリーンヒルズMORIタワーへ移転・統合する作業と、合計7000人ほどの社員のメールシステムをMicrosoft Exchangeに切り替える作業をJBSが受注したのです。

 今回は、この小さなIT企業の物語を紹介します。

 ここで、J-フォンについてご存じない若い方のために、歴史的背景を簡潔に書いておきます。J-フォンは、国鉄の通信設備を引き継いだ日本テレコムの子会社で、1991年から92年にかけて東京デジタルホンなど「デジタルホン」という名前で設立され、 東名阪をエリアとする携帯電話事業としてスタートしました。94年から95年にかけては、日産自動車と一緒に「デジタルツーカー」各社を九州・中国・東北・北海 道・北陸・四国の順に設立。1999年に日産が経営難で携帯電話事業から撤退したことをきっかけに、J-フォンを全国統一ブランドおよび社名に採用しました。

 先述の2000年にJ-フォンから発売された「J-SH04」という機種は、今のカメラ付きケータイの原型となった伝説の機種で、「写メール」というサービスは通称写メと呼ばれ、携帯電話で写真をメールで送ることを指す一般名称となりました。2001年には親会社の日 本テレコムがJRとの資本関係を解消したことで、イギリスのボーダフォン・グループが 買収。06年にはソフトバンクグループに売却され、現在はソフトバンクブランドで事業が続いています。

7000人の会社の移転とシステムの切り替えを受注

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