東洋のシンドラー・杉原千畝の足跡が残る場所、リトアニアの「杉原記念館」
GOTRIP! / 2017年8月15日 11時30分
「東洋のシンドラー」と称される外交官、杉原千畝(すぎはら ちうね)。第2次世界大戦下、ホロコーストの嵐が吹き荒れるなか、彼が発給した「命のビザ」によって、6000人ものユダヤ人が命を救われました。
日本国の命令に背いてまで正義を貫いた杉原千畝の足跡は、「杉原記念館」として現在もリトアニア第2の都市で、当時の首都であったカウナスに残っています。
杉原千畝がリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に着任したのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が激しさを増していた1939年のことでした。
日本領事館の退去が求められていた1940年7月、カウナスの日本領事館前に突如として人だかりができます。彼らはナチス・ドイツの迫害から逃れるために、ポーランドからリトアニアにやってきたユダヤ人。
当時、もはやヨーロッパにはユダヤ人が安住できる場所はなく、彼らに残されていた希望は、シベリアを経由して日本を通過し、アメリカやカナダ、オランダ領のキュラソー島などに避難することでした。それを実現するためには、どうしても日本の通過ビザが必要だったのです。
杉原千畝は本国に電報を打ち、救いを求めるユダヤ人たちへのビザ発給の許可を求めました。
ところが、何度打診してもその答えは「否」。
ドイツと同盟関係にあった日本がユダヤ人の避難を支援すれば、ナチス・ドイツに対する敵対的行為とみなされてしまうため、外務省の回答はある意味で当然でした。
ナチス・ドイツの魔の手が刻一刻と迫るなか、日本の通過ビザを手に入れられなかったユダヤ人たちに悲惨な運命が待ち受けているであろうことは、火を見るよりも明らかでした。杉原千畝は一晩中悩みぬき、ついに本国の命令に背いてまでビザを発給する決意をしたのです。
「私を頼ってくる人々を無視するわけにはいかない。でなければ私は神に背く・・・」
それからカウナスの日本領事館が閉鎖されるまでのおよそ1ヵ月のあいだ、彼は昼夜を問わず、万年筆が折れ、腕が動かなくなるまでビザを書き続けました。
ビザの発給は、リトアニアを去る列車の中まで続き、彼がこのとき最後に発給したビザは、走り出そうとする列車の窓から手渡されたのです。
「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています。」と杉原千畝が頭を下げると、「ミスター・スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ。」という叫び声が上がりました。
こうして杉原千畝がカウナスで発給したビザの総数は2000通以上ともいわれ、それによって6000人を超えるユダヤ人が命を救われました。
日本国の命令に背けば、自身はおろか、家族の身もどうなるかわからない状況でしたが、彼は外交官としての立場を超えて、一人の人間として正しいと信じた道を選んだのです。
残念ながら、こうした杉原千畝の功績は、彼の晩年まで公にされ、日の目を見ることはありませんでした。
第2次世界大戦が終結し、1947年に日本に帰国した杉原千畝を待っていたのは、外務省からの退職勧告。
表向きの理由は新しいポストがないことでしたが、事実上のクビだったといえます。
それから職を転々とした後、1968年になって突然イスラエル大使館から一本の電話を受けます。
その電話によって、杉原千畝は、彼の「命のビザ」によって救われたユダヤ人の代表ニシュリ氏と28年ぶりの再会を果たすことになります。
彼のビザによって命をつないだユダヤ人は、杉原千畝のことを忘れることはなく、ずっと杉原千畝本人を探し続けていたのです。
そして1985年には、イスラエル政府より、多くのユダヤ人を救出した功績により、日本人初の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受けました。
その後、日本政府により、公式に杉原千畝の名誉回復が行われたのは、彼の死から14年も経った2000年のことでした。
生前は賞賛だけでなく「国賊」として中傷を受けたことすらありましたが、それでも独断でビザを発給した自らの行動を後悔することはありませんでした。
リトアニア・カウナスにある杉原記念館は、かつて実際に日本領事館として使われていた建物。
杉原千畝の生涯に関するビデオを見ることができるほか、当時の執務室の再現や、彼が発給したビザや発給記録の再現、本国とのやりとりに関する資料などを見ることができます。
展示室に掲げられている日本国旗は、当時実際にカウナスの日本領事館で使用されていたもの。
黄ばみ、ところどころ擦り切れた日の丸が、歳月の重みを感じさせます。
杉原千畝が発給したビザのリストの一行一行には、一人ひとりの命がかかっていたのです。
杉原千畝が実際に勤務していた場所で、彼の功績に触れるのはこの上なく感慨深い時間。
唐沢寿明さんや小雪さんなど、映画「杉原千畝」の関係者もこの記念館を訪れています。
映画で予習してから杉原記念館を訪問すれば、いっそう特別な体験になることでしょう。
2017年7月現在、改装工事中のため、外観はまともに見ることができませんが、2017年の9月ごろにはリニューアルが完了し、現在は展示が行われていない2階にも展示物が設けられ、さらに充実した内容となる予定です。
「日本人」あるいは「外交官」としてではなく、あくまでも一人の人間として正しいと信じる道を貫いた正義の人、杉原千畝。
それゆえ、「同じ日本人として」という表現はいささか陳腐に聞こえますが、戦時下にあって、利害を超えて虐げられた人々を救う勇気をもっていた日本人がいたことを誇りに思わずにはいられません。
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