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「百戦百勝の英雄」金王朝解体新書 その1

Japan In-depth / 2017年5月2日 11時19分

「百戦百勝の英雄」金王朝解体新書 その1

林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・日本の敗戦で朝鮮半島には分断国家が誕生。

・ソ連は共産党一党独裁の衛星国家を東欧に樹立。

・同様に金日成も独裁国家のカリスマ的指導者として担がれた。

 

■分断国家として再出発

「朝鮮半島の戦後史は、解放と分断によって始まった」と言われる。

日本の敗戦により、植民地支配からは解放されたが、同時にそれは、分断国家としての再出発を意味していたのだ。日本人にとって8月15日とは終戦記念日だが、韓国では今も「光復節(コンボクチョル)」という、植民地支配の終焉を祝う記念日となっている。

よく知られるように、ドイツも東西に分断されて戦後史をスタートさせたが、これは、一度ならず二度までも「戦争の震源地」となった国家に対する、懲罰的な意味を持っていた。これに対して朝鮮半島は、言わば成り行きで分断国家となってしまったのである。

1945年8月9日(極東時間)、ソ連は日本との間に結んでいた中立条約を無視して参戦し、当時は満州と呼ばれていた、中国東北部になだれ込んだ。

日本軍とは段違いに機械化された、ソ連軍の進撃速度は凄まじく、8月10日には朝鮮半島北部のウンギ(雄基)に突入し、25日までには北緯38度線付近にまで兵を進めたのである。

一方、米軍も日本の降伏を受けて朝鮮半島に進駐した。ただ、カミカゼ特攻隊まで繰り出して激しく戦っていた日本人が、平和裏に進駐軍を迎えるという確信がもてなかったこともあり(史実はご承知の通りだが)、兵力的にも日本列島への進駐だけで手一杯というのが実情であった。

当時、米国国防省内部では、半島南部のプサン(釜山)、モッポ(木浦)周辺のみ米軍の管轄下に置き、それ以外の地はソ連に任せてよいのでは、という意見も聞かれたという。しかし結局は、北緯38度線を境界として以北をソ連が、以南を米国がひとまず統治することとなった。読者ご賢察の通り、このような経緯が「解放と分断」と表現されたのである。

■ソ連の戦略と金日成

かくして朝鮮半島の戦後史が幕を開けたわけだが、どちらかと言うと南の方が問題を抱えていた。米軍は、日本の軍国主義を解体し、新たな民主国家として再スタートさせる作業(具体的には日本国憲法の制定など)で手一杯であり、朝鮮半島南部にどのようにして民主国家を成立させるか、具体的な戦略を持ち得なかったのである。アジアにおけるソ連の影響力を排除せねばならない、という理念だけあって、具体的な方策を欠いていた、とも言える。

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