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挑み続ける医師、福島からの変革

Japan In-depth / 2018年8月3日 10時43分

 


高野病院は福島第一原発の南22キロに存在する慢性期病院だ。1980年に高野英男氏が設立した。病床は内科65床、精神科53床で、毎日20名程度の外来患者や、数名の急患を引き受けていた。東日本大震災以後も双葉郡内で診療を続けた唯一の病院である。


院長の急死で病院は存続の危機に立った。尾崎医師は「高野病院を支援する会」を立ち上げ、仲間の医師とともに次の院長が決まるまで、ボランティア医師の派遣やクラウドファンディングなどでの支援を行なった。(参考)。多くのメディアで報じられたため、ご存じの方も多いだろう。


 


当時、福島県と広野町は高野病院への支援に消極的だった。両者の間には長年にわたる軋轢があったらしい。住民視点に立てば、高野病院を存続させねばならない。そのためには福島県や広野町の協力が欠かせず、結果として、両者を批判することになる。福島県の中には福島県立医大も含まれる。当時、尾崎医師には「そんなことをしたら、君の将来にとってよくない」と忠告する医師もあったようだ。彼も相当悩んだようだが、自分の意志を貫いた。大勢の支援者とともに、高野病院は存続した。これは、尾崎医師にとって、「社会を少しだけ動かす」最初の経験となった。


 


 その後、2018年1月に尾崎医師は南相馬市内の青空会大町病院に移籍した。南相馬市の中核病院だが、内科の常勤医がいなくなったためだ。尾崎医師の後輩である山本佳奈医師が9月に赴任したが、彼女一人ではまかないきれなかった。外科医である尾崎医師は、内科医として赴任を決意する。


 


 この病院には都内の私立医大から外科の常勤医、非常勤医が派遣されていたが、病院長は彼らに対して内科の「雑用」を頼まなかった。病院長は、この大学の出身者である。尾崎医師は、病院が後任の内科医を確保するのをまって、7月に退職した。彼がいなければ、南相馬市の内科診療体制は崩壊していた。


 


 現在、彼が勤務するのは、ときわ会常磐病院(福島県いわき市)だ。江尻友三・名誉院長とともに、専門である乳腺の治療センター、検診センターを立ち上げようとしている。


 


 いわき市の人口は34万3,383人(2018年7月1日現在)。中核市に認定され、福島県内最大の都市である(郡山市は33万3,206人、福島市28万9,371人)。ところが、この地域の医師が不足している。人口10万人あたりの医師数は161人、全国平均の240人はおろか、福島県平均の196人を下回る。これはブラジルやエクアドルなどの平均とほぼ同レベルだ(2016年12月末現在)。


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