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「日本改鋳 2」「憲法改正が近づいた」続:身捨つるほどの祖国はありや 5

Japan In-depth / 2021年5月9日 19時51分

「道義感」にもとづいて時の政府の政策に反対の意見をもちつづけてきた、と加藤氏は言う。そして、「いくさを避けるためには、どういう手段を講じても十分すぎるということはない。」と続ける。(同書435頁)





そうはいかないだろう、と今の私は考える。いくさを避けるために努力することのなかには、真に万やむを得ないときにはいくさをすることを決して避けないという覚悟を含むと思うからである。そうでなければ、避けられるいくさも避けられないだろう。その覚悟は、現実の武力に裏打ちされていなければ蜃気楼に過ぎない。覚悟はその場限りの心理的なものではものの役に立たない。何年もかけた準備があって可能なことである。





また私は、なぜアメリカとの戦争を始めたのか、についての真摯な反省がなければ、いくさを避ける議論には中身がないだろうとも思う。負けるに決まっていた戦争。確かに、パール判事も言ったように、ハル・ノートを突きつけられればモナコといえども剣を持って立ち上がるのかもしれない。





しかし、剣を持って立ち上がった結果を我々は知っている。立ち上がらなければ良かったと、今になればわかるのである。愚か者の決断、匹夫の勇であった。何百万の人々の命、それ以上の数の人々が取り返しのつかない障害を負った人生に値するほどのいったい何があってアメリカとの戦争を始めたのだろうか。剣を握って、銃を構えて死んだのはごく一部である。遠い南の島に連れていかれ、餓死し、あるいは病気で亡くなった青年は無数にいた。武器も乏しいままに船に乗せられて、船ごと沈んでしまった若者も数知れない。その戦争の反省を我々は怠ったままだと思う。いったい誰が悪かったのか。誰の責任なのか。





それは当時の国内情勢を知らない者の言うことである、とおもわないわけではない。





だが、逆に、問題はそこにあったと思い、今もそこにあると思う。国際的な交渉ごとは、すべて国内政治の反映である。陸軍と海軍が民主主義による政府を壟断している状況下では、平和に物事を解決することはできなかったのであろう。





今の日本も同じことであると思う。





同じ困難な状況が、米中の間にある国である我々の前にある。日本国民の選挙で選ばれた総理大臣は、アメリカの大統領に言われれば直ちにそのとおりにするしかない。なんとも不条理なことではあっても、現実である。





せめて、日本にとっては中国との関係はアメリカとは違うのだとアメリカに強く迫ることのできるリーダーを持ちたい。しかし、日本は持っていない。リーダー個人の資質の問題ではない。我々の現在の自画像なのである。





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