「石原慎太郎さんとの私的な思い出 2」 続:身捨つるほどの祖国はありや 15
Japan In-depth / 2022年3月16日 23時0分
半世紀以前。眼下の道路を走っているバスはボンネット型、鼻の突き出た形のものだ。なによりも、車の数の少ないこと!
石原さんは、亡くなる直前に「最後まで足掻いて、オレは思いっきり女々しく死んでいくんだ」とご子息に述べたという。(『石原延啓、月刊文芸春秋令和4年4月特別号、101頁』)
私はその部分を読んで、ああ石原さんは三島由紀夫の死にかたのことをずっと気にしていたのだと感じた。前回に書いたとおり、三島由紀夫の死とくらべて石原さんのことを言った私に、彼は死にたくなったら石油を頭からかぶって死ぬさと答えた。今思えば、自分が死ぬなどとは思っていなかったのだろう。未だ65歳だった。当然のことだ。
彼は、自分が死ぬなどと考えておらず、ましてや石油をかぶるなどとは思いもせず、その場のことをして言ってみただけということだったのだろう。少なくとも三島由紀夫の死にかたに自分が後れを取ってしまったとは認めないぞ、ということだったに違いない。
だが、三島由紀夫のことは気にかかってならなかった。
それにしても、死の直前とはいえ、「思いっきり女々しく」は石原さんに似合わないと受け止めた向きが多いのではないか。女々しさとはもっとも遠い人だと誰もが信じていた人だからである。
しかし、実は女々しかったのかもしれない、と私は反芻してみた。
第一は、高校時代に1年留年していることである。後には、気にいらないことがあったので絵を描いたりしていた、と説明したりしている。
私はそれを信じない。『灰色の教室』の一節を思うからである。
誤解している方もあるかもしれないが、『太陽の季節』は石原さんの処女作ではない。『太陽の季節 』は1955年、昭和30年の『文学界』7月号に掲載されている。『灰色の教室』は、その前、昭和29年12月号の『一橋文芸』で活字になっている。当時の流行作家で一橋大学の先輩だった伊藤整に資金援助を頼んだという。
石原さんは、それほどの文学青年であったのである。
『灰色の教室』には、宮下嘉津彦という名の高校生が登場する。自殺の常習癖のある少年である。
その少年が、最後の自殺を図って、生き返る。そして、もう死ぬのは止めたと友人に宣言する。わけを訊かれて、
「睡眠薬を飲んで以前と同じように引きこまれるように睡くなった時、彼は何故かふと自分がインクポットの蓋をするのを忘れたのではないかと思った。それを思い出そうとしたとき、生まれて初めて何か突き上げるようなわけのわからない恐怖に襲われたのだ。
この記事に関連するニュース
-
三島由紀夫の死去から54年 追悼行事「憂国忌」 東京都内で
毎日新聞 / 2024年11月25日 17時51分
-
昭和の匂いを漂わせた私小説の求道者に脚光……藤枝静男、あの若手作家も愛読者
読売新聞 / 2024年11月25日 15時30分
-
三島由紀夫「金閣寺」の原題は「人間病」 原点記した書簡見つかる
毎日新聞 / 2024年11月24日 7時0分
-
石原まき子さん「裕次郎さんにとって映画製作は青春」「黒部の太陽」上映劇場に直筆手紙掲出
日刊スポーツ / 2024年11月21日 15時20分
-
石原良純、石原家は「親父が全部正しい」も…「変だって気付いた。僕が思っていることは間違い」
日刊スポーツ / 2024年11月16日 19時15分
ランキング
-
1八戸5歳女児死亡の初公判、検察側「母親らは一日一食しか与えず隠れて食べていた女児に暴行」
読売新聞 / 2024年11月26日 15時45分
-
2【速報】共同通信の社長が外務省に謝罪 生稲晃子外務政務官の靖国参拝めぐる誤報問題で
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年11月26日 19時51分
-
3求人サイトで公募した市長後継候補、原因不明の急病で辞退…あす現市長が記者会見
読売新聞 / 2024年11月26日 16時1分
-
4コロナ新しい変異株「XEC株」はどんなウイルスか 「冬の対策とワクチン接種の是非」を医師が解説
東洋経済オンライン / 2024年11月26日 9時0分
-
5石川県西方沖でM6.6の地震 最大震度5弱 津波被害の心配なし
ウェザーニュース / 2024年11月26日 22時47分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください