「石原慎太郎さんとの私的な思い出 2」 続:身捨つるほどの祖国はありや 15
Japan In-depth / 2022年3月16日 23時0分
『本当に恐ろしかったよ。死ぬことがあんなに寂しい怖いものだって言うことが始めてわかったんだ。』」
と答えるのだ。
この場面、初めて読んだときから私にはとても印象に残った。インクポットなど、今の人にはわかるまいが、万年筆よりも以前の時代、人々はインク瓶にペン先をつけては少し書き、またペン先を浸すという繰り返しで手紙を書いていたのだ。
この一節は自分自身の体験なのだ、と私は感じた。今も感じる。つまり、石原さんの休学の1年の理由はそうしたことかと思うのである。間違っているかもしれない。もう誰もわからないだろうし、石原さんの遺した小説は文学史の一部なのだから、こうした思いつきも許されるだろう。もちろん、当の本人にたずねたことはない。
さらに想像を膨らませるには、『太陽の季節』が話題になるまで、石原さんは地味な生活をしていたと自ら言っていることが参考になる。高級サラリーマンを製造する大学で文学なぞに耽っている変わり者、だったのではないか、と。サッカーをやっていたと彼は自慢する。柔道では投げ技を食ってジェット機のように空を飛ぶから「ジェットの慎ちゃん」と言われていたともいう。
中学時代にディンギーのヨットを買ってもらった石原さんだ。太陽の季節を生きていたことは間違いないだろう。しかし、それは『太陽の季節』の中身とはまったくちがったものだった。あれは弟とその友人たちのことに過ぎない。
ではなぜ石原さんは『灰色の教室』を書いたのだろう?
伊藤整によれば、雑誌を印刷屋から引き取る金がないので無心に来たということである。「もらい方がとてもよかったことが印象に残っている。押しつけがましくもなく、しつこく説明するのでもなく、冗談のようでもなく、素直さと大胆さが一緒になっている、特殊の印象だった。すぐ私は出してやる気になった。そのあとで私は、妙な学生だな、あれは何をやっても成功する人間かもしれない、と考えた。」
伊藤整が石原さんに感じたと書いていることである。
『灰色の教室』が『一橋文芸』に掲載されたのは、大学3年生の12月のことである。そして、編集者に薦められて半年後に『文学界』という雑誌に『太陽の季節』を書き、文学界新人賞を得た。それが直後の芥川賞受賞につながった。もう文藝春秋社の期待の路線が敷かれていたのかもしれない。伊藤整の影を感じるのは、私の考えすぎなのだろうか。
第二に、上記の「全対話」のなかで、三島由紀夫と小説家が「女々しい」ということを前提にして滑らかに話していることだ。三島由紀夫は「小説家で雄々しかったらウソですよ。小説家というのは一番女々しいんだ。生き延びて、生き延びて、どんな恥をさらしても生き延びるのが小説家ですね。」と言い、さらに、三島由紀夫は「文学は毎日毎日おれに取りついて女々しさを要求しているわけだ。」と石原さんに話す(127頁)
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