「石原慎太郎さんとの私的な思い出 3」 続:身捨つるほどの祖国はありや 16
Japan In-depth / 2022年4月12日 13時12分
事務所の秘書のなかには、「大変です!大統領から電話です」と大声を出すものもいたから、固定電話に自分で電話してこられたのだろう。私の秘書がとって、それから私に回したのだったのだろう。
最近、平川祐弘先生の書かれた『昭和の大戦とあの東京裁判』(河出書房新社)を読んでいて、石原さんについて、はたと思い当たることがあった。
「私の少年時代は、日本人が劣等感を抱かずに胸を張っていた時代である。毎夏、房総半島へ避暑に行くと 、帝国海軍の軍艦が何隻も沖に見えた。日本は世界の三大海軍国の一つであった。誇り高い少年として育ったことが、私の人格形成と関係しているように思えてならない。」(143頁)
平川氏は1931年の生まれ、そして石原さんは1932年の生まれである。
なるほど、と私は悟るところがあったのだ。
石原さんは、敗戦のすぐ後、相模湾を一望できる丘に登って、海を埋め尽くしてしまうほどにたくさんのアメリカ軍の艦船が、湾に浮いているのを見たと書いている。中学1年生のときのことであろう。日本について誇りを持った少年であったのだ。
そうでなければ、東京裁判を観に行って下駄ばきで階段を歩いていたことを咎められたことを書きとめはしない。逗子の街中で、通りすがりのアメリカ兵にアイスキャンディーで顔をはたかれたことに触れたりもしない。
既に、その年齢で、石原さんのアイデンティティの一部としての、誇り高い祖国としての日本が確立していたのである。
私は、このことに気づいてから、たった3年遅れで生まれた大江健三郎氏について、そういうことだったのかとつくづく考えた。それは、先年私が出した『身捨つるほどの祖国はありや』の元となった歌をつくった、同じ1935年生まれの寺山修司についてもあてはまる。
つまり、10歳は自分と祖国の関係についてアイデンティティが確立するには幼過ぎたのだ。だから、大江氏は日本について石原さんのような誇りをもつことがなかった。『遅れてきた青年』と考えざるを得なかったのである。
寺山修司は?
身捨つるほどの祖国はないと、たぶん、みなし子のように感じたのではないか。
10歳と12歳。
自分のことを思い返してみる。
私は10歳まで東京にいた。豊島区の大成小学校というところに通っていた。小学校5年生になるときに広島に転居した。父親の転勤があったからである。一家6人の、国鉄の貨車を使っての引っ越しだった。引っ越し前に家に何人もの男が入ってきて、金づちと釘を使って木の枠をつくり、箱に組み上げて、そこに箪笥や冷蔵庫を入れるのだ。それが近くの駅に運ばれ真っ黒なワムと呼ばれた型式の貨車に載せられた。コンテナのない時代である。
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