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「石原慎太郎さんとの私的な思い出6」続:身捨つるほどの祖国はありや21

Japan In-depth / 2022年8月9日 23時17分

その、毎日四十キロを走ったあげく大手術をして「裸になればその若い肉体の一番目立つ左の臀部に近い腰に、肉を切り裂いた大きな傷跡が残っている」女性に、石原さんは、「この出来事の余韻として、私は、彼女に強い原罪感を抱かぬわけにはいかなくなった。」


彼女は彼女で、「ほかならぬ私のためにそれだけの犠牲を払ったために彼女の私への傾斜はますます激しいものとなってきて、ある時、私と二人して沖縄に駆け落ちして私の子どもを産むつもりだとまで言い出し、母親と妹にそう宣言して家を飛び出し、勝手に一人住まいを始めてしまったものだった。」


さすがの石原さんも困ってしまったことだろう。でも、彼女の一人住まいの家賃は誰が払ったのだろう。


「すでにこの齢になったこの私が今更それに合わせての人生などありようもなく、私としては四十五も齢の離れた彼女からの情熱をまともに受け止めようもなく、願うことは彼女がいつかしかるべき若い佳い男と出会い愛し合い、彼女が私への妄想から外れて新しい人生を踏み出していくことを先立つ者として彼女のために願い祈るしかない。」(187頁)


「若い佳い男と出会い愛し合い」とは、よくぞの表現である。そうした女性が以前実際にいて、その女性が結婚した後に頼まれて抱き、「薹が立った」と後に冷酷にも書いたのは石原さんではないか。


それにしても、その女45歳年下の女性は、今、どうしているのだろうか?


45歳年下ということは石原さんの亡くなったときに44歳だったことになる。


おや、すると新銀行東京の増資騒ぎがあったのは2008年のことだから、その時には31歳の女性だったということだ。石原さん76歳。後期高齢者である。


それにしても、石原慎太郎という人は、なんとも女性を引きつけ、自らも惚れ込み、文字どおり抜き差しならない、人間同士の深い業の極みにまで錐もみしながら突っ込んでいくことのできる人なのだと、つくづく感心してしまう。


その人にしての、「この世は男と女なんだよ」という教えだったのかと、いまさらながら思い返す。


そう言ったときの石原さんの言葉、声、表情は、むしろ淡々したものだった。当たり前の、宇宙の摂理を悟った者が、自分にとってはごく当たり前にことにすぎないことを、後から付いてくる無知な者に簡潔に説き聞かせるといった調子といったらよいだろうか。


もし、私が石原さんの今回の本、『「私」という男の生涯』に書かれたことについて知っていたら、少しはましな弟子になることができただろうか。それとも・・・


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