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「石原慎太郎さんとの私的な思い出6」続:身捨つるほどの祖国はありや21

Japan In-depth / 2022年8月9日 23時17分

石原さんは、「来世なるものをどうにも信じることが出来はしない」と言う。(340頁)


しかし、そう言いながらも、「そうなのだ、虚無さえも実在するのだ。」として、「やはり私は人間の想念の力を疑いはしない。」と自分に言い聞かせもする。


「私は・・・人間にとって不可知なるものの力を信じてはいるが、その認識は死後の来世なるものの存在にはどうにも繋がらない。その折り合いがどうにもつかぬままにいる。その苛立ち、その不安を何かがいつか解消してくれるのを願ってはいるが、結局それは人間にとっての最後の未来、最後の謎である私自身の死でしか解決してくれぬことなのかもしれない。」


そう現在について述べながら、そのすぐその後には、「この長たらしい懐旧も所詮、私自身へのなんの癒しにもなりはしなかったような気がするが。」と書いてみせ、「私の人生はなんの恩寵あってか、愚行も含めてかなり恵まれたものだったと思われる。だから、あの賀屋さんが言っていた通り、死ぬのはやはりつまらない。」と結ぶ。この本の最後の一行である。(341頁)


え?石原さん、想念を信じているんじゃなかったんですか、来世が信じられないといっても不可知なるものの力を信じているんじゃなかったんですか、と尋ねたくなる。石原さん、この本の冒頭近くでは、「忘却は嫌だ。なにもかも覚えたまま、それを抱えきって死にたい。」(11頁)って書いていたじゃないですか、と呼びかけたくなる。


いつも私に「小説は情念だよ」と仰っていたのは石原さんだったじゃないですか、と問い返したくなる。


「目を見開いて天井を見つめくるしそうに荒い呼吸を繰り返してい」た石原さん(石原延啓 「父は最後まで『我』を貫いた」 月刊文藝春秋2022年4月号 103頁)は、最後に自分の過去をすべて抱きしめ、自分自身の死で最後の謎を解決し、遂に来世に旅立つ自分を実感することができたのだろうか。


わからない。


石原さんの意識は消滅した。「消滅した意識が何を死後に形象化することだろうか。しかし私は人間の想念の力を疑いはしない。」


石原さんは、今、こうしてパソコンのキーボードを叩いている私を見ている。そして、次の瞬間に私に電話をくれ、「ひさしぶり。お邪魔してもいいかな。あいかわらずだね。忙しいばかりだね。」と、あの特上の笑顔を電話器の向こうできっと見せてくれようとしている。ふっとそんな気がする。


ついでに。


以上のとおり、私は石原慎太郎さんのことを考えながら、最近読んだ別の本のことを思い出してもいた。


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