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「石原さんとの私的思い出7」続:身捨つるほどの祖国はありや22

Japan In-depth / 2022年9月21日 21時0分

私は困ってしまった。当時55歳。それまでの人生で入院というものをしたことなど一度もなかった。毎日の夜の自分独りの時間は本人なりに掛替えのない大事な時間で、誰の、どんな制約をうけることもなく、眠くなるまで本を読んだり原稿を書いたりするのはもちろん、真夜中に目が醒めればベッドに横になったまま電気だけを点けてまた本を読んだり、気分によってはやおら起き上がって原稿を書き継いだりしてといった生活をしていたのだ。


そんな人間が、何人かが共同の病室に入ってしまっては、同室の患者さんたちに迷惑をかけるに決まっている。だから、私には個室以外の病室に入ることは想像することもできなかった。


個室とは限りませんと言われて私は困ってしまった。とにかく、虎の門病院への入院は延ばしてもらい、親しい友人のT氏に相談した。


その友人とは長い付き合いで、私の生活ぶりは良い点も悪い点もよく承知してくれている間柄だ。


私の話を聞いたT氏は、そいつは困った事態だねと大いに同情してくれ、とにかくM医師に会ってみろと親切にも私をM医師の西新宿のクリニックに同道のうえ紹介してくれた。友人のT氏は長い間、M医師のところに通っていてとても頼りになる先生だと言ってくれたのだ。


早速、M医師は、T氏の紹介もあって、私のような我が侭な病人の話をていねいに聞いてくれすぐに了解してくれた。


「わかりました。それなら慶応を紹介しますから、そこで手術を受けたらいいですよ。良い先生がいますし、慶応病院なら私が個室をかならず確保してあげます。安心してください。」と言われた。大船に乗った気分になった私は、そのとき調子に乗って、「慶応病院なら、あの、裕次郎が入っていた部屋があるでしょう、あの部屋がいいですね。ぜひお願いします」と頼んだのだ。


「確認してみましょう」とM医師は冷静に請け合ってくれ、私はすっかり裕次郎の入院していた部屋で胆のうの除去手術を受けるつもりになっていた。


ところがすぐに、「あの部屋は別の方でふさがっています。」とのご宣託だった。


「でも、裕次郎の入っていた部屋のすぐ下の部屋が取れますから、そちらでいいでしょう。」と言われ、私は残念だったが、どうにもならないことだからと納得して手配をお願いした。


だいいち、考えてみれば大事なのは手術なで病室ではないのだから、一も二も無かった。石原裕次郎の部屋のすぐ下の部屋が大丈夫だとのこと。私なぞにはもったいないくらいであった。


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