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「石原さんとの私的思い出7」続:身捨つるほどの祖国はありや23

Japan In-depth / 2022年10月13日 7時0分

「これという貸出先もないのに預金だけは豊かに抱え込んだ地方銀行の頭取は、その点、都市銀行の頭取よりも大事になれた一時期があった」(『乗取り』231頁 城山三郎全集第7巻 1980年新潮社刊)


なんとも昔話のようである。


「城山はね、『石原さん、あんたはいいなあ。政治家やってるから、いろんな経験が出来るだろう』なんて言うんだ。まったく、自分にはもう書くことがなくなってしまったって嘆いてるんだよ。」


そう石原さんに聞かされたこともあった。


城山三郎がなくなったのは2007年の3月のことだ。私が電話で石原さんと会話してから1年と3か月しか経っていない。城山三郎78歳。


私は城山三郎氏と面識があったわけでもない。石原さんから城山三郎氏の「悪口」もどきを聞いて、へえそんなものなのかと思ったくらいのことに過ぎない。城山三郎の作品のほとんど、例えば『毎日が日曜日』も読んでいたし、もちろん『総会屋錦城』は熟読していた。書くことがなくなったとすれば、取材して書く人という方々は、年齢とともに取材意欲が低下してそうなってしまうものなのかもしれない。


私の場合は、或る意味で毎日の仕事そのものが取材対象自身であり現場だから、城山三郎氏について石原さんに彼も枯れてしまってねと聞かされても、あまり実感がなかったのだろうと思う。


今でも同じことである。私は依頼者のために働く弁護士だから、依頼者が次々と代わって新しい情報、環境に接するのが当たり前なのだ。


それにしても、2005年の年末も年末、大晦日に石原さんはどうして私に電話してきたのだろうか。


「西脇建設が土地を抱えるんだ。プロジェクトが中止になっちゃってね。」と切り出した後で、


「しめきりが迫っててね、困っているんだ」


ということで、知恵を貸してくれという電話だった。


私は、「それなら、プロジェクトに絡んでいる銀行の頭取が知らないってことはありませんよ。頭取には連絡が言っているはずです。」


と絵解きすると、


「わかった。で、プロジェクトの中止でどうして銀行が動くことになるかだな」


というやり取りだった。石原さんはなんらかのインスピレーションを得られたのだろう。


たぶん、後に『火の島』という表題の小説になった作品のプロット作りをお話ししていたのだ。


電話での話は、いつの間には都政のことに移っていった。「フライイングするなといっていたのに、あいつが」という、どうやら微妙な、込み入った話になっていった。


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