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「石原さんとの私的思い出7」続:身捨つるほどの祖国はありや23

Japan In-depth / 2022年10月13日 7時0分

年上の人妻との20年を超えるプラトニックな恋。


それは、およそ『太陽の季節』の石原さんの反対側にあるお話ではないか。


石原さんは、そのすぐ後で、「プロがよく分かっていることについて書くのはやさしいさ。


でも、あなたの場合、それだけじゃなくて、自分が新しい恋愛をするつもりで書かなきゃ。


あなたは凄腕の弁護士だろうけど、そんなことじゃなくってさ。」


そこで一度言葉を切ると、石原さんは、


「弁護士でもない、ひたすら企業に精進する辣腕弁護士というんじゃない、自分で自分のことを『バカな男だなあ』って思いながらもどうにもならないっていう、そういう恋愛だよ。」


と一気に言い切ってから、


「『天の夕顔』だよ、『天の夕顔』!」と繰り返した。


そして、どうしたのか、


「伊藤左千夫の『野菊の花』はもうないんだよ。」と悲痛さを押し殺したような声でつぶやいた。


私は『天の夕顔』がどんな小説かは知らないで話をしていたのだが、もちろん『野菊の墓』は知っていた。『天の夕顔』は題名からしても、きっと『野菊の墓』と同じような、夢のような、淡い恋愛を描いた作品なのだろうか、などと想像していた。


石原さんが亡くなったいまとなって、私はこんなことを考える。


石原さんは、『「私」という男の生涯』のなかで、高峰三枝子について書いている。1956年に封切られた、石原慎太郎原作、主演の『日蝕の夏』の「不良の主人公を拾い上げてくれる年上の成熟した女性」の役に、「当時離婚したばかりの、喉を痛めて歌や映画から遠ざかっていた高峰三枝子さんという高望み」をしたというくだりだ。(118頁)


その話は、「なんと私があの高峰さんに口説かれたのだった。」と続く。


高峰三枝子の私邸に誘われ、翌々日のラブシーンの段取りについて考えたことがあるので相談にのって、と高峰三枝子に誘われたという。


「『ラブシーンの稽古だから、よかったら私の寝室でいかが』ということで、二階の寝室に上がって行った。そこのベッドの上で、『私の考えた段取りは、こうして私があなたの腕を取って引き寄せ、その指を軽く噛んで』云々という段になって気が付いたのだ。」


これは、80歳を超えた石原さんが昔を思い出して書いていることだ。


「これは逆だ。順が違う。男が女を口説くのが順だということで、私はおずおずと身を引いたのだった。」


「この今になってみれば慙愧に堪えぬというか、馬鹿で愚かしいというか、あの時の彼女はまさに女盛りの、一人の女としての絶頂期にあった。くだらぬ男の沽券でみすみす長蛇を逸した自分を後でどれほど呪ったことだったろうか。」


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