平成10年の年賀状①「パリ、レンヌ通りの夏」
Japan In-depth / 2023年4月11日 15時22分
私にはニューヨークでの仕事があり、終わり次第コンコルドに乗ってパリに向かうことにしていた。パリにいる家族がシャルルドゴール空港まで迎えに来るという。ニューヨークを出発した時刻はおぼえていないが、確かにパリ時間の夕方に着いた。頼んでいた大型のリムジンに4人が乗ると、車は黄昏どきのパリの街を疾走し、あっという間にレンヌ通りのアパルトマンに着いた。
家族はだいぶ以前からパリに滞在していた。レンヌ通りに面したアパルトマンの3階を3週間借り切っての暮らしがそれらしくなっているようだった。大学生の長男はレンヌ駅からのメトロを自在に乗りこなしてパリじゅうを歩き回っていた。高校生の次男はパリが合わなかったのか少しホームシック気味の様子。
アパルトマンのリビングで家族そろってトランプ遊びをしていたときのこと、突然長男が「うわあっ」と大声をあげた。「なんなんだっ」という叫び声が続く。どうしたのかと皆で長男の顔を覗きこむと、彼が座ったまま左手を後ろに回している。触るつもりもなく左手を伸ばしたら、椅子の背もたれの後ろ側に妙な手触りのなにかがあったようだ。なんだかわからないそれに手が触れ、びっくりして声を上げた。椅子の後ろに回ってみてみれば、はみ出していたのは果物などを箱に入れるときに詰めものに使う、ごく薄い木を2ミリ幅くらいに細長く切って丸めた塊で、それがソファ背もたれの裏側の布地の破れ目からたくさんはみだしていたのだ。木毛と呼ばれている詰め物材だ。ソファの背もたれの裏側がそんなことになっているなんて誰も考えたりしない。長男の大声は瞬間的にでてしまったのだった。皆で大笑いをし、なにごともなかったようにトランプを続けた。パリの貸アパルトマンの家具はときとしてこわれていることがあるということだ。
そういえば、このアパルトマンには冷房がなかった。パリでは普通のことらしいが、日本でもニューヨークでもいつも快適に暮らしている私には、ほんのちょっとの高い室温も耐えがたく感じられる。
それに浴室のお湯が情けないほどの水量でしか出ない。古いアパルトマンだったのだろう。家にあればゆったり入る風呂も旅にあればこそ臍までの湯につかって済ます。これもまた旅情ということかとしみじみと味わうしかない。
レンヌ通りに面したアパルトマンの近くにはボンマルシェという古い百貨店があって、家族はそこでいろいろな買い物をしていた。そのうちの一つ、ウサギ肉の入ったポテトサラダには大いに閉口した。私はポテトサラダは大好物なのだが、入っているハムがウサギ肉で作られているなどとは想像するはずもない。日本人なのだ、ウサギ肉には親しみがない。味が強過ぎるのだ。
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