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平成10年の年賀状①「パリ、レンヌ通りの夏」

Japan In-depth / 2023年4月11日 15時22分

パリではいろいろなところへ出かけた。もちろんルーブルにもでかけ、モネのための楕円形の大きな地下美術館へも、鉄道の駅が改装されて美術館になったというオルセー美術館にも行った。今調べてみると1986年に開館したらしい。たくさんの観光客に交じって、同じように込んだ食堂で昼を済ませた。


あの、なんとも変わったデザインのポンピドー美術館へも出かけた。


毎日出歩いていた。その後にパリに定期的に出張に来ることになってからも、パリの街中を歩く習慣は続いた。歩いているとどういうわけか何度もレパブリック広場に出くわす。ピカソ美術館の近くのカフェーのことは以前書いたことがある。二人の青年がテーブルに並んで座って白ワインを楽しんでいた。今思えば、二人は恋人同士だったのかもしれない。少しも違和感がなかった。


私には5日間だけのパリ。家族をパリに残して先に帰国しなくてはならなかった。仕事があったのだ。いつもそうなのだ。私には夏休みは存在せず、夏休みの子どもたちとの時間を過ごすために仕事に合間をつくって一定期間を共に過ごす。そうしたことがいつもの習いになっていた。パリも、私のニューヨークでの仕事の都合でたまたまコンコルドに乗ればひとっ飛びだったというに過ぎない。


家族がニューヨークに来て私はそれを迎えることにしなかったのは、たぶん私がコンコルドに乗ってみたかったからなのだろう。友人のアメリカ人弁護士がポルシェの顧問で、毎月のようにニューヨークからコンコルドに乗って往復していると聞いていたので、コンコルドに乗ってみることに興味があったのだ。あるいは家族が、パリでアパルトマンなるものを借りて長い期間の滞在をしてみたい、ニューヨークはいつでも行けるのだから次の機会でいいと望んだのだったかもしれない。


帰国の前日、空港までのリムジンを頼むと、電話での案内人に「日本語のできるドライバーが良いか、できなくてもかまわないか」と訊かれた。「どちらでもいいが、値段が違うのか」とたずねると、同じだという。それならと、日本語のできるドライバーを頼んだら、30歳くらいの、少し長めの髪をした日本人青年がやってきた。


私は、その青年がどんな人生の流れの途中で、いまこうしてパリで旅行者相手のリムジンのドライバーをしているのか興味にかられた。私は47歳で、その夏の数か月前に初めての小説を出版してもらったばかりだった。


「運転手さん、こうやってパリで旅行者相手の運転手っていう商売をしているのは、そもそもなにか他の目的があってパリにお見えになっていたからなんですか」


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