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平成12年の年賀状恵比寿のシャトーレストランでの時間/伊藤整全集のことなど

Japan In-depth / 2023年4月26日 18時0分

たぶん、「最晩年の彼から始めた」のは、谷崎の全集の時からだったような気がする。なぜなら『夢の浮橋』という作品が強く印象に残ったからだ。幻想的な作品だったが、妙に心惹かれた記憶がある。


伊藤整ももちろん全集を読んだ人に入る。これは古本屋で求めたのだった。谷崎潤一郎の全集を読んでから後のことである。若いころの詩が素晴らしかった。


伊藤整については、「歿後50年 伊藤整展―チャタレイ裁判と『日本文壇史』」というのが2019年に日本近代文学館で開かれたのを観に出かけているようだ。はっきりとした記憶はない。ただ、ああした裁判を戦うのは大変だったろうなと思ったくらいのことだったか。観に来ている方の数も限られていたと思う。それは江藤淳について「没後20年 江藤淳展」 が、同じ2019年にあったのを神奈川近代文学館まで観に出かけたのと好対照をなしている。あの時は、雨のそぼふる寒い日だったことをよく覚えている。江藤淳に似つかわしい天気だった。観ている人の数は同じく少なかったが、「江藤さん、生き埋めになってしまって大変でしたね」という思いで館を後にした。やはり伊藤整は同時代人ではなく、江藤淳は同時代人だったからだろうか。


そういえば、最近、文学についておもしろい体験をした。


石原慎太郎の『火の島』(幻冬舎文庫)を読んだごく親しい友人とこんなやり取りをしたのだ。


彼が、「いや、僕は礼子さんに惚れてしまったみたいなんだ」と言い出したのがきっかけだった。礼子というのはヒロインの名である。


私は、「えっ?でも彼女は小説のなかの女性だよ。」と私が応じると、


「わかっているよ。でも、僕は彼女に惚れたんだって自分でわかる。本気だよ。」


と来た。


「でも、あなたの心のなかにいる礼子さんてどんな方なの」


とたずねると、


「上品で、清楚で、中肉中背でね。」


と、まことに具体的である。


「おもしろいですね。あなたの心のなかにある礼子さんは私の心のなかに住んでいる礼子さんと姿形がまったく別個なんでしょうけどね。」


もともとそうした議論になる素地はあったのだ。


彼は、『火の島』という小説の末尾で、西脇礼子の幼馴染だった浅沼英造が礼子と心中することがどうしても許せないと言っていたのだ。私にとっては素晴らしい、必然の結末だと思われたのだが、彼は余りに礼子さんが可哀そう過ぎるというのだ。


「好きな男に抱かれて、その男の手のナイフで死の数秒前に胸を刺され、そのまま強く抱きしめられて何十メートルかの断崖から抱き合って飛び降りる。こんな素晴らしい人生はないのではないかと思いますよ。長く生きていることが人生の価値とは思えない。死ぬべき時に死ぬことができることは、人生での最大の果報だと思いますけどね。」


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