平成12年の年賀状恵比寿のシャトーレストランでの時間/伊藤整全集のことなど
Japan In-depth / 2023年4月26日 18時0分
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【伊藤整全集のことなど】
伊藤整については、石原慎太郎さんと話したことが懐かしく思い出される。伊藤整のファンの方ならわかってくださると思うが、伊藤整は『発掘』の雑誌連載の完結後「ついに単行本にまとめることなく、時日を過ごし、遺作の一つとして残された。」(伊藤整全集第十巻 瀬沼茂樹による編集後記 596頁)瀬沼によると、伊藤整は「実は結末の部分に不満があり、なお百余枚を書き加えたいと願っていた」という。(同頁)天が伊藤整に時間を与えなかったのだ。なんとも残念でならない。
長編三部作のうち、最後の『変容』も、最初の『氾濫』も素晴らしい。しかし、どうも未完としか言えないままの『発掘』には、伊藤整の最後の日々が赤裸々に描かれているような趣があって、もっとも生々しい会心の作になったはずだという気がしてならないのだ。なによりも、彼自身がこの作品には直接的に登場している。この作品のなかで、伊藤整は癌に罹った自分を意識し、その前提でものごとを考え、その視点で動いているからだ。
たとえば、伊藤整の分身である土谷圭三は、愛人である大学の助教授鳥井久米子と二人だけの場で、目の前の久米子の「うるんだ大きな目を見たとき、圭三は急に、自分がこの人に逢える時間はもうあまり長くないのだ、と感じた。」そして、「おれはこの人をこの世に置いて近いうちに居なくなってしまう、という直感が圭三の胸に湧いた。」伊藤整はそう書いている。
さらに、そのすぐあとで、「久米子のそばにいて圭三は、自分の今の生活が三月か半年くらいで断ち切られるかもしれないことを、顔に炎がかかるような切実さで考えていた。」と表現する。(全集第十巻286頁)
1962年から2年間にわたっての連載だったというから、伊藤整が57歳から59歳の間の作品ということになる。
伊藤整は64歳で死んだ。癌である。その彼は『発掘』のなかにこんなことを書いている。
鳥井久米子との快楽の作業が終わってすぐのこと、
「何という虚しいことを人間の肉体はするものだろうと思った。そのとき彼はあの孔子も釈迦もひどく年老いるまで生きていたことを考えた。彼等も五十歳から六十歳の間に、たぶんこんな風にして、欲望は郷愁に過ぎないことを知り、そしてその時、道徳というものが生身の人間に体現され得ることを見出したのかもしれない。己の欲するところに従って則を超えずと言ったり、若い弟子たちに色慾は空虚だと語ったりしたのは、そういう理解に基づいてのことだったのかもしれない。」(290頁)
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