平成12年の年賀状恵比寿のシャトーレストランでの時間/伊藤整全集のことなど
Japan In-depth / 2023年4月26日 18時0分
「欲望は郷愁に過ぎない」というのは、小説のなかで彼がいつまでも達することなく行為を続けながら、「それは、現実の快楽でなく、以前に持った快楽のための郷愁の行為に似ていた。」という部分を指している。「神の好色に似ていた」という表現もしている。
この『発掘』という小説は、主人公である国立の明治文化研究所の所長という地位にある土谷圭三が、むかし付き合いのあった村井露子という女性の突然の訪問を受け、二人の間にできた子どもがいま東京に大学生でいることを知らされる場面から始まる。
その時、土谷圭三は危篤になった姉を看取るために北海道へ行かなければならない状況だった。
その姉は、早くに両親を失った圭三の母親代わりであり、「世に出る前の弟のために、という古風な考え方で、町の酒場の女露子を彼から遠ざけた。」(32頁)という、はるか昔の物語のなかで活躍し、「その結果圭三は、官立の大学の教授になるという、言わば出世のコースを進むことができた」のだ。
札幌と小樽の中間にある村の牧場にいる姉を見舞った土谷圭三は、もう彼のことがよくわからない姉に向かって、こうつぶやく。
「あなたが骨折ったほどの値打ちが僕の生活に生まれたわけではなかった。」
圭三は「自分の生活が贋ものだという気持ちから抜け出すことができなかった。」と伊藤整は彼自身の心境を吐露する。流行作家としての名声、また「チャタレー裁判」で人々の大きな支援を得ながらも、伊藤整が行きついたところはそんなところだったのかと思わせないではいない。
そういえば、石原慎太郎さんが伊藤整について、「あんな女好きの人はいなかったなあ」と教えてくれたことがある。自らを『「私」という男の生涯』(幻冬舎)のなかで「好色」と形容する石原さんにしての伊藤整評である。そういえば「仮面紳士」というのも伊藤整の表現だった。彼は東京工大で文科系の教授となり、その立場を江藤淳に譲ったのだった。
私は平成12年の正月からどのくらいして伊藤整の全集を読み切ったのだろうか。
全集を読んだ作家は何人かいる。同時代を生きたから、その人の本が出るごとに、雑誌の表題が目に付くたびに読んでいた人も何人もいる。石原慎太郎はその第一だったろう。加藤周一もそうだった。それは、今では平川祐弘先生に完全に替わっている。江藤淳も『夜の紅茶』以来、いつも愉しみにしていた。
既に亡くなった人の全集を読んでいるのは、なんといっても漱石と鷗外になる。どちらが先だったか。大学入試が終わって鷗外を読み、司法試験が終わって漱石を読破したのだったか。次いで、谷崎潤一郎。谷崎の全集は、私が検事を辞めて弁護士になってすぐ後に出始めた。事務所のライブラリアンに頼んで毎号確実に購入していたから、よく覚えている。ただし、手に入るごとに読んでいたわけではなく、自宅の書斎に積み上げるだけで結局読まないで終わるのかなと思っていた。
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