平成15年の年賀状「宮島、パリ、青山と私」・「広島へのセンチメンタル・ジャーニーと青年弁護士のボルネオ島への旅のことなど」
Japan In-depth / 2023年6月16日 11時0分
さて花火も十分堪能したし、出発しようということになったところで、船のロープがスクリューに絡まってしまっていて動かない。身体を動かすことを少しもいとわない義兄は、もう60歳近かったのだが下着の白いブリーフ一枚の姿になって海に飛び込み、何度も潜っては片手に持ったナイフでロープを切り割こうと悪戦苦闘し始めた。ところが、ロープは思いのほか固く、しかも強く絡みついているようで、スクリューの位置が船の下にあるために、ナイフ片手に海に潜ってスクリューに寄って作業をしている義兄の身体は、波が上下するたびに水の動きそのままに身体全体が垂直、つまり頭を上に足を下にした格好で浮いたり沈んだりする。だから、波の上下があるたびに船の底の一部に義兄の頭が激突してしまう。からだ全体が水のなかに浸かった形だから、衝撃は相当のものがあったに違いない。ふつう人間はそういう姿勢で海に身体を沈めた姿勢をとらない。いわんや、そのまま縦に浮き沈みして頭を海面近くの硬い物質にぶつけることはない。波止場にいればロマンチックなさざ波程度の揺れでしかない海面の上下が、縦に、魚釣りのウキのように浮かんだ人間にとってどれほどの強い衝撃となりうることか。いまでも、彼の頭が船底の周辺部にぶつかったゴツンゴツンという鈍い音が聞こえるようである。痛かったことであろう。それはそうである。ましてや義兄の頭髪はもう年齢相応に薄くなってもいたのだ。潜っては、ロープにナイフを突き立て、息継ぎに船の外周部近くに浮き上がる。そこで船底に頭を打ちつける。なんどもなんどもそれを繰り返し、やっとロープを切り取った義兄の苦労はいかばかりだったか。
彼はもう今は亡い。
なにはともあれ、義兄が我が身をかえりみることなく獅子奮迅の活躍をしてくれたお蔭で船はまもなく動き始めた。文字どおりパンツ一丁で大活躍をした義兄は、ロープを切るのに使ったナイフを片手に握って甲板にあがり、身体の海水を拭き、服を身に着け、再び自慢の操縦にとりかかった。後は順調な航海だった。
パリの「ピカソ美術館」については、以前に書いたことがある。
改めて、独りクロックムッシュ―を食べていた自分を思いだして、そういえば隣に男性の二人連れがいて、白ワインを美味しそうに味わっていた光景が脳裏に浮かんできた。あれは、LGBTQの二人連れだったのかもしれない、と今にして思い返してみる。カフェーの風景の一部であるかのように、とても仲良しの二人づれだった。せかせかと食べ終わった日本人の中年男とは対照的に、二人でいることのできる人生を心から愉しんでいるように見えた。
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