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平成29年の年賀状

Japan In-depth / 2024年2月16日 21時4分

大学で法律を先生に習ったことがなくはなかったのは、星野英一教授の民法演習というゼミのようなものに出席したことがあることからわかる。他には鳳教授の手形小切手法の講義だけ。要するに面倒だったので気ままにしていたというだけのことだ。





6階建てのマンションの1Kに一人だけで住んでいた。月に2万9000円の家賃を、小岩に住んでいた郵便局のサラリーマンであるオーナーに払っていた。奥さんが更改契約にそのマンションまで来てくれたのを覚えている。その部屋で、好きな時に起き、自由に本を読んでいる生活。恋人がいて満たされた生活を送っていたのだ。





ただ、司法試験に合格しなくてはならないという強迫観念はいつもあった。もっとも、それとても東大受験のための日々に比べれば取るに足らないことだった。大学受験と違って苦手の数学がないのだ、合格は容易なことだと見くびっていた。





当時にはもう司法試験の準備のための教材は豊富で、独り、深夜、自分の部屋にこもって勉強しさえすればよいだけのことなのだ。なんとも気楽な生活、軽快な日々だったといってよいだろう。ラジオで『粋な別れ』という名の石原裕次郎の新しい歌が出たと聞き、さっそくLPレコードを買ったのもあのマンションでのことだった。





ずいぶん長い間あの要町のマンションにいた気がしているのだが、いま調べてみるとたった3年だけだ。結婚するのを機に引っ越したのだった。若いときにはつぎつぎといろいろなことが起きていたものだ。





いまでも、毎日さまざまなことが起きているのは変わらないのだろうが、十年一日の感が強い。新しいことが起きず、それは感受性が鈍っているからというなにが起きても経験済みの月並みなことということになってしまうのだろうか。74歳のいまでも週単位で生きていて、息つく暇もないと感じるほどに忙しいのだし、若いころの方が時間が余っていたように思えるのだが、なにがどうなのか。





本は休みなく読んでいる。





産業革命はなかった、少なくとも革命と呼ぶに値する変化はなかったと何度か読んでいたのだが、最近も秋田茂氏の『イギリス帝国盛衰史』(幻冬舎新書)で確認した。『綿の帝国』(スヴェン・ベッカート 紀伊国屋書店)という800頁を超えるという、まことに分厚く重たい本の後に読んだ、これまた400頁を超える分厚い新書本である。





秋田氏によれば、「現在、歴史家は『The Industrial Revolution』という言葉は使わない。なぜなら「revolution/革命」と言う言葉が示すようなドラスティックな変化は実際には起きていないことが、イギリス経済史を専門とするニック・クラフツの研究によって実証されたからだ。この時期のイギリスの生産性は、実は100年ほどかけて、非常に緩やかに上がっていっているのだ。」とあった。(216頁)秋田氏は以前からそのイギリス史についての見識を尊敬している学者の方である。たとえば、『イギリス帝国の歴史』(中公新書 2012年刊)を刊行の1年後に読んでいる。ここでも秋田氏はクラフツに触れ、「トインビー以来の産業革命=一大変革説を、イギリス本国の経済史学界は大勢において否定することになった。」と述べている。(80頁)





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