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平成29年の年賀状

Japan In-depth / 2024年2月16日 21時4分

 でも、そうしている自分の背後になにかがいるんじゃないかって思う。





 鷗外が言っている。





『赤く黒く塗られている顔をいつか洗って、一寸舞台から降りて、静かに自分というものを考えて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗いてみたいと思い思いしながら、舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め続けている。この役が即ち生だとは考えられない。背後(うしろ)にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる』ってね。」





 房恵はもう一度座ると、「あの男」に問いかけた。





「陸軍省医務局長、軍医総監、つまり軍医として最高の地位にまで昇ったのに、そんなことを?





 いえ、そんな役人としての出世だけじゃない。鷗外って文学者としても素晴らしい仕事をしたでしょう。それなのに? なぜ?」





「その後はこう続くんだ。





『しかし、その或る物は目を醒まそう醒まそうとおもいながら、又してはうとうととして眠ってしまう』





 森鷗外60年の人生のうち、49歳のときの作品だよ。若かったころのドイツ留学の日々を思い出して、彼はそう書いたんだ。45歳で君の言った、軍医としての頂点に立って、54歳までそのポストにいた、その間に書いたわけだ。『妄想』っていう、小説ともエッセイともつかない、短いものだ」





「又しては?又しても?





鷗外はずっと、うとうととして眠ったままだったの?」





「いや、違う。





 鷗外は、日本で結婚するっていう彼との約束どおり、はるばるドイツから日本へやってきた恋人を、追い返してしまったんだ。たった1ヶ月で、だ。ドイツにいて二人で見ていた夢の続きは、日本にはなかったということなんだろうな。もっとも、そいつは彼の視点からの話で、エリスっていう年若いドイツの女性の立場からは、不条理なことが起きたということでしかない。あれほど優しかったリンタロウー――鷗外の本名は森林太郎というんだ、そのいとしい男が、その男の祖国に帰ったとたんに、別の男の顔をしていた。」





シェークスピアは、似たようなことをその作品のなかの人物にこう言わせている。





「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者に過ぎぬ」(『お気に召すまま』小田島雄志訳 74頁)





「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう」(『マクベス』同訳 162頁)





確かなことは、鷗外もシェークスピアも、もう死んでしまっていないことだけだ。





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