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「平成30年の年賀状」団塊の世代の物語(2)

Japan In-depth / 2024年3月13日 23時13分

大木の机の上には、もう一つ古いものがある。大木の父親が大木らと東京に住んでいた昭和30年からの4年の間に趣味の彫刻で織り上げた水仙の模様のある木のペン皿だ。父親がつくってから64年以上になる。大木は10歳になっていなかった。東京を離れて広島に引っ越したのが10歳のときのことだから、年月が特定できるのだ。





英子をさきにしてエントランスのドアを入る。すぐ左には一年じゅう生花が絶えない。2月になれば最初のさくら、啓翁桜が大きな花瓶から広がって、他の花を圧する。





「まあ、さくらね。早いのね」





「うん、こうやって毎年、ここで次々と5種類の桜が替わっていくのを眺めるんだよ。でも、次は桃らしい」





「ふーん、生花をかざるの。すごいのね。お華の先生の名前を書いたプレートもある」





「べつにすごくはないけど、その先生にもう長い間おねがいしていてね。でも、生花、生きている花はいいですねとお客さんも言ってくださるんだ。百合の香りが楽しみですって言ってくださるかたもいる。僕も愉しみ。事務所にいながらにして全国津々浦々を花見旅行ができてしまうって仕かけだからね。もっとも僕のオフィスは14階にあるから、毎日見るわけじゃないんだ」





生花の向こうには、漆で飾った小さな床の間のような空間がある。デザイナーのこだわりだった。1987年に大木が青山ツインに新しく大木法律事務所を開設したときいらい、ずっと頼んできたデザイナーの作品だった。すぐれた感覚の持ち主で、一度、誘われて岐阜県の大野町まで事務所の玄関に貼る石の素材をみにいったことがある。





あのころはよほど暇だったのだろう。それ以上に、自分の事務所が形をもって厳然と存在することになるのが嬉しかったのかもしれない。できあがった玄関の内装は、大木が直前まで勤務していた事務所と同じ、黒の御影石に磨かれた真鍮のアルファベットの金文字での事務所名だった。あのころにはそういう呪縛があったのだろう。





まっすぐに進むと、岩本英子はいやでも正面の事務所名の看板をみることになる。そして、頭の高さをこえたところにある看板の下に立つ。大木総合法律事務所とあってそのしたに英文でOhki & Partners とあって、さらにその下にAttorneys-at-lawと続いている。





大木は、1階でエレベータボックスにあとから入ってドアの方に向きなおるときに英子の胸もとでネックレスが揺れたのにきづいた。二重になった長い金のネックレスだ。つながったそれぞれが独特の花の形をしているから、ヴァンクリーフだと大木でもわかる。石はサファイアのようだった。みるともなく目を指におとすと、右手の人差し指におなじヴァンクリーフのサファイアがこんどは指輪になって控えめに光っている。ミャンマーからはるばる永田町まで連れられてやってきたということになるわけだった。





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