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「平成30年の年賀状」団塊の世代の物語(2)

Japan In-depth / 2024年3月13日 23時13分

それにしても、なぜサファイアなのか。





9月が誕生月の大木は、偶然にしても好ましいことだな、と感じた。大木の日常に宝石はまったく関係しない。しかし、自分の誕生石がサファイアであることくらいは子どものころから知っている。気にしたことは74年間の人生で一度もない。もちろん、きょう岩本英子がサファイアを身につけていることがそんなこととなにの関係もないということくらいはしれたことだった。





両方の耳たぶでも小さなサファイアが控えめに輝いていた。





ヴァンクリーフのネックレス、指輪、イアリング、そしてあつらえの黄色のバッグ。どれも、彼女がとても裕福な暮らしをしていることを示してあまりある。





そういえば、広島興産という名前の会社に長い間勤めていて、ついさいきん社長が死んだと言っていた。英子は、その広島では中堅の不動産会社の専務をしていたということだった。





顔のしわがほとんどめだたない。整形しているのかな、と思う。でもすこし頬の肉がたるんでいる。それに首筋の皺は隠せないものだ。ちゃんとある。安心に似た気持ちが走る。奇妙な感慨だった。





首相官邸が下に見える会議室に案内した。窓ガラスの一部はつや消しになっていて、官邸が直接のぞけないようになっている。





3月11日の地震の日、インドからやってきた弁護士さんと話をしていたときもこの会議室にいた。お茶を秘書が運んできたとき、あのときにはまるで舟に乗って波に揺られているようにゆっくりと、長いあいだ、揺れた。秘書の女性はテーブルにつかまっていた。





ルーティンのように議員会館、首相官邸、首相公邸と、官邸と公邸の違いをおりまぜながらひとわたり説明する。左側にはキャピトル東急ホテルが見えている。相手の年齢によって、それが以前には東京ヒルトンと呼ばれていてビートルズが来日したときに泊ったホテルだと付けくわえる。





誰がきても一回目には同じことが繰り返される。





「ええ、ビートルズのホテル、知ってる。ハッピを着てJALのタラップを降りていたの、覚えてる。私たち17歳、セブンティーンだったよね」





黄色のハンドバッグを真っ黒の革の椅子の座面におくと、手に下げていた紙袋を差し出した。千疋屋の袋と熨斗の付された箱だった。大木には中身が想像できる。自分で贈りものにすることがよくあるのだ。季節を選べば、果物ほどの贈答品はない。今の季節はイチゴが一番に決まっている。





腰をおって挨拶を交わすと、となりの椅子に腰かけながら岩本英子は大木と会っていることが愉しくてたまらないとでもいうように顔の筋肉を緩めた。





<だれかに似ている>





そう感じた。





すぐに、「ああ、石原さんだ。あの、石原慎太郎さんの人を引き込まないではない、独特の微笑みだ。」と悟った。





英子はその微笑をたたえて、大木の前に座っていた。





「きょう、僕がいてよかった。もしいなかったらどうするつもりだったの?」





大木がたずねると、英子は微笑をくずすことなく、





「また来ればいいでしょう」





すましていた。





トップ写真:東京都知事選で2期目の当選を果たした石原慎太郎氏(2003年4月13日 東京・新宿区)出典:Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images




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