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「平成30年の年賀状」団塊の世代の物語(2)

Japan In-depth / 2024年3月13日 23時13分

昭和35年、1960年。高度成長の始まった直後の日本。三井炭鉱を巡っての総資本と総労働の対決といわれた三井鉱山の労働争議の時代。英子には、身近に、なにか「外部」からむりやりのように転入してきた東京からの同級生、その天真爛漫でひたむきな向上心の持ち主に対する反発だけでなく、地元、地域に住み慣れてきた地つきの少女としての抵抗感、拒否感があったのかもしれないと思うのだ。





それは、まさに同じ時期におきた岸信介首相をめぐる安保騒動とおなじ、しかし、ずっとミクロの規模での政治だったのではないかと思われる。世界の歴史のうえで、いつでもどこでもあった小さな小さな一挿話なのではないかという気がする。いまはコーポレートガバナンスを巡ってマルチステークホルダーという言葉に象徴される反株主中心主義が唱えられ始めている。しかし、現実にあるものは東京と地方の格差であり、富んでいるものと貧しいままに置き去りにされているものとの格差である。株主主権は確固として存在している。キャノンの巨大な上場会社のトップとして長い間君臨した者であっても、株主総会で再任票が過半数に満たなければクビになる。議決権という名のその票は海外の投資家が大半を保有しているのが現実なのだ。





そういえばもう一つ、このこととそっくりの、いやもっとするどい言葉の刃を英子は大木の心に突き立てたこともあった。英子は、なによりもそういう女性として東京からやってきた大木少年の目のまえに現れたのだ。





英子についてのこうした記憶が、のちに加藤周一の『桜よこちょう』という詩を初めて知ったとき、「ああ、いつも花の女王」という一句を目にしたとき、『羊の歌』のなかでその詩に出逢うや、大木に「ああ、自分にとっての『花の女王』というのは岩本英子のことだ。彼女以外に花の女王はいない」となんのためらいもなく得心した。





あの言葉を発したときの英子には、大木にかぎらずクラスの男の子たちのだれもを「臣下」として睥睨しないではおかない「花の女王」の威厳が、少女にしては大人びた切れ長の目にあった。あの、『忘れえぬ女』という題の、46歳のイワン・クラムスコイというロシアの画家の描いた女性の目と同じ目だった。





心にそんなさざ波がたったことをおくびにも出さず、大木はビルの模様がデザインされて印刷されているカードを手わたし、先ずそれをゲートの接触面にのせて英子のためにドアが開くようにしてやった。すると緑色だった光が一瞬赤に変わり、すぐに緑にもどる。英子はあたりまえのように右手の指さきでゲートの右側にある台のうえにおかれたカードをつまみ上げた。大木は、こんどは自分の白いカードをゲートのうえに置く。大木のカードはなんども装置にこすりつけているから、とっくに印刷がきえてしまっていて真っ白になってしまっていた。





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