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「令和2年の年賀状」団塊の世代の物語(4)

Japan In-depth / 2024年5月16日 21時0分

昔、大木が検事をしていたとき、「原という字にはこうして何とおりもあるんですよ」と、立ち会い事務官という名の取調室での共同作業者が教えてくれたことがあった。原のまだれのすぐ下の「ノ」が真下に伸びている字、「ノ」のない字などなど。





だから、大木もいつも注意深く署名する。そのつもりなのだが、間違うことがある。秘書がチェックしてくれる。そういう習慣が確立されていた。





『我が師石原慎太郎』は見開きが濃い茶色の紙なので、署名には白いペンキを使わなければならない。岩 本 英 子 とゆっくり、こころをこめて署名しながら、ああ英子というのは白い色でかかれるにふさわしい漢字二文字の名前だなあ、とすこしセンチメンタルな気持ちになった。





「英子」は、『太陽の季節』の冒頭、初めも初め、一行目に出てくる名なのだ。





夕食の時間をくださいねとはあらかじめ言われてはいなかった。しかし、私はどういうわけでか、その日の夕方には他の会食の約束を入れることを避けていた。たぶん予期し、期待していたのだろう。そんなことなら、以前にも他のだれかとなんどもあったことだ。





同じオークラに泊っている。だからヌーベルエポックで、と言われた。それで7時を約束した。





大木はいつものハイヤーでオークラに向かいながら、若かったころのことを思いだしていた。





三井物産を東京地方裁判所に訴えたマレーシアの山林王の裁判で、大木は原告である山林王を代理していた。正確には、当時大木の所属していた法律事務所のパートナー弁護士の手伝いをしていたのだ。





毎月のようにスコットランド人のChartered Accountant、勅許会計士が東京にやって来た。シンガポールと香港に拠点を持っている、客家でマレーシアのサラワク州の山林王の顧問会計士だった。





「勅許会計士はCertified Public Accountant公認会計士なんかとは質もレベルも違うんだ。勅許会計士の方がずっと幅が広く、深い」というのが持論で、いつも「それに、スコットランドだっていうのが大事なんだ」と自慢していた。ダンディーというのが生まれ故郷だと教えてくれた。すぐに手もとのレッツの手帖を出して地図の頁を開いて、場所を確認してもらった。エディンバラのさらに北にある街だ。





その裁判の間、勅許会計士が東京にくると1週間は滞在して、大木と大量の資料を前にして朝から夕方まで議論をするのが習慣になっていた。もちろんランチもいっしょに摂る。建て替え前のパレスホテルのレストランに行くことが多かった。夕方になると、大木は他の仕事を急いで片づけて帝国ホテルに向かう。7時が当然の約束だった。





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