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「令和2年の年賀状」団塊の世代の物語(4)

Japan In-depth / 2024年5月16日 21時0分

ホテルの有楽町側の出口から歩いて銀座へ出て、ビルの5階にあるハマという鉄板焼きステーキの店に行くのが事実上のルールになっていた。そこで2,3時間を過ごす。彼自身はステーキは50グラムしか食べない。店の料理人が気を利かして、オモチャのようなフライパンに脂身から絞りだした液体状態の牛脂をためて、その脂で小さなパンを揚げてくれるのが彼の愉しみなのだった。「ピティーさん、ピティーさん」と店の人たちに呼ばれて、いつも上機嫌だった。





若かった大木は、彼がくると週に6回、ワンパウンドのサーロインステーキを食べていた。検事のころ、ステーキが食べられたらどんなにいいだろうと憧れていたのが、簡単に、完璧に実現されたのだった。美味しかった。英語の会話が心地よかった。





夕食が終わると帝国ホテルに戻って、1階の広いラウンジ奧にあるピアノバーに並んで座って真夜中の12時まで話しこむのだ。そこで大木はモルトウィスキーの美味しさを初めて知ったものだ。グレンフィディックから始まって何種類のモルトウィスキーを知ったことか。





おもい返してみると、どうやら同性愛者だった彼にとっては、15歳は若い大木との時間は、別の意味でも愉しみだったのかもしれなかった。もちろん、なにごとも起きようもなく、大木にとっては何の関係もないことだったのだが。





英語の勉強には大いになった。毎月1回、1週間、朝から真夜中まで英語漬けなのだ。





そして、12時になると大木は帝国ホテルからタクシーで帰宅する。





翌朝は、朝8時半には事務所に出ていた。





一度、定宿の帝国ホテルの彼の部屋に二人で入ったことがあった。危ないかもしれないとおもわないではなかったが、なにもなかった。大木にその性向のないことは、ああした人間は本能的に感じ取るのかもしれない。





そういえば、他にもある日本の著名な企業のトップが大木を顧問弁護士としてとても大事にしてくれたことがあった。家族ぐるみで会社の別荘へゴルフに誘い、クラブを一セット買ってまで準備してくれた。まったくの初心者だった大木を連れてコースを回ってくれ、そのうえで一緒に風呂に入りそうになった。





大木はどうして自分が彼といっしょに風呂に入ろうとしなかったのかおぼえていない。さしたる理由もなかったかもしれない。普通のスーツ姿にソックスの異常なほど鮮烈なグリーンが印象的な紳士だった。





「ありがとうございます。お忙しいところを、私などのために申しわけありません。」





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