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「令和2年の年賀状」団塊の世代の物語(4)

Japan In-depth / 2024年5月16日 21時0分

石原慎太郎さんに会うときにクレリックのワイシャツを着て行って、「そんなものはジャズマンとかバンドマンが着るものだよ」と酷評された直後のことだったから、その日の水色は一段と大木の目に染みた。以来、大木は水色のワイシャツ以外身につけない。





入り口から左に折れてなじみのウェイターの先導されるままに歩きながら、ふっと1年ほど前にフランス人の友人を招待したときのことを思いだす。あのとき、日本酒をという彼の注文におうじて矢渡という珍しい名の女性ソムリエが「十四代」の4合瓶を差しだした。小さな透明のグラスの酒をひとくち口にふくむなり、ジャンクロードは「あ、これは開けてから2週間以上経っているな。こりゃだめだよ」と英語で言った。





あわてて代わりのボトルをもってきてもらったのだった。ジャンクロードが口のなかで酒をころがす。先ほどと同じ動作だ。こんどは満足したように「トレ・ビヤン」と微笑んだ。大木も笑顔をつきあいの長いその女性ソムリエに向けた。ほっとした顔をしている。なんどかこうして世話をかけた記憶がある。





フランス人の友人、ジャンクロード・ダマバル氏とは、フランソア・ピノー氏が買った青葉生命の案件を機会に知り合い、とても仲良しになった。フランスのアクサ生命の国際部門のCEOだったということで、退職時に多額のストックオプションを手に入れて、現在は半ば道楽でコンサルタントをしているとのことだった。





ニューヨークのアラン・デュカスの店がオープンしたのででかけてみたがとても気に入ったと言ったことがある。興味にかられて、いったいいくらくらい払うものなのかとたずねたら、即座に、“I don’t care!”と言い返された。





とても相性が合って、公私ともにいろいろな機会にさまざまな話を弾ませた。彼の女性論もずいぶん聞かされたものだった。





大木は事務所でのミーティングの終わり、予想どおり、英子に夕食に誘われたのだ。ヌーベルエポックだと言う。瞬間、それならあの部屋なだとピンときた。





そのとおりだった。この店には個室は一つしかない。





もう一つ、とっておきのスペースがある。巨大なアメリカ大使公邸と霊南坂をはさんで向かいあっているガラス張りの素敵な半個室のことだ。天井にまでは達していないが、他の客室からは半透明の仕切扉で隔離されている。ランチタイムにはなんともとっておきのスペースになる。





明るい陽射しが差しこみ、周囲の都心ともおもえないふんだんな緑がいちだんと映える。もっとも、客の側は霊南坂を背にすることになるから、ありがたみは半分もないかもしれない。大木はそちら側に座ったことがない。大木はいつも、アメリカ大使館と大使公邸の間にある銀杏の大木を厚いガラス越しに目にしている。客は左手に下がっている敷地一杯にあふれた緑を目にすることになる。およそ日本でこれほどの贅沢な借景のフレンチ料理の店はありはしないだろう。超高層からの景色などは、もうとっくにごちそうではない時代になってしまっている。





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