「令和2年の年賀状」団塊の世代の物語(4)
Japan In-depth / 2024年5月16日 21時0分
といっても、ここは暗くなってしまってはその魅力が消えてしまう空間だ。
いちどたいせつな学者の方を招待したことがあった。ガラス越しの風景も魅力もごちそうの一つだと考えて敢えてその場所を選んだのだったが、部屋にはいるとすぐに失敗してしまったことに気づいた。そのときの招待客への申し訳なさの記憶がいまでも大木の大脳にこびりついている。そういう失敗をした自分を許せないのだ。
その空間は、幻冬舎の見城徹氏に石原さんについて書けと使嗾された場所でもあった。
見城氏は、大木が1年足らずで『我が師石原慎太郎』を書いたら、約束どおり出版してくれた。題名も彼がつけれくれた。大木はそれまでは『石原さんについての私的思いで』というタイトルで綴っていた。
尊敬する平川祐弘先生にお贈りしたらすぐに返事をくださり、「すらすらと綴った私語りで、ついに日本文壇史の中に名を連ねることとなりました。」とお褒めの言葉をたまわった。それだけで大木は有頂天だった。
そういえば、この本は英子にも署名入りで先ほどわたしたばかりだ。しかし、あの半個室のコーナーに行かなければ、英子はこの店が石原さんについての本に出てくるあそこだとは気がつかないだろう。いや、ひょっとしたらあの本をもう読んでくれていて、なにもかもわかっていてこのフレンチの店を指定したのかもしれなかった。
個室までの廊下の右側の壁一面を、ワインやシャンパンのボトルが整然と斜めに並んで底の部分を見せている。透明ガラスの陳列棚が店の格式を示している。壁面全体をおおっているといっていい。その奧にある個室の内開きの扉からなかに入るのだ。店に入ってから他の客のだれとも顔を会わせることなく、すっと密かに個室のなかにはいることができるしかけになっていた。一流ホテルではどこでもそうした仕掛けがあるものだ。このホテルの和食、山里もそうなっている。
彼女は、紙袋にいれて何冊かの本を渡したとき、石原さんについて書いた本を取り出して開き、見返しに署名がしてあることをみつけると、自分の名をあらためて覗き込むようにしてから微笑み、「署名してくださったね」と心から喜んでくれた。大木は、できるだけ本を贈呈するときには署名する。そのために、秘書が名刺にしたがってデジタル化された情報にもとづいて文字を大きくしたA4の紙に姓と名を印刷して正確を期してくれる。間違えると、たとえそれが「高」と「髙」の違いであっても、かならず気づいてくれる。そんなときには二冊目に署名することになる。誰にとっても自分の名前の漢字は大切なものだ。
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