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「令和5年の年賀状」団塊の世代の物語(7)

Japan In-depth / 2024年8月16日 23時5分

そんな彼女が、一夕、「あなた勉強大変だから、栄養のあるものを食べさせてあげる」と言って、ハンバーグを作って食べさせてくれたことがあった。荻窪の彼女の一室だけのアパートでのこと。





食事が終わって、どちらもアルコールは飲んでいないで、壁に背中を持たせかけた彼女の正面に向かい合って僕が立ったまま、いつまでも取り留めのない話をしていた。目のすぐ前50センチのところに、大きな二つの目と水色に白い糸の編みこまれたタートルネックの薄いセータ―から突き出した二つの胸があった。





<もし髪に手を伸ばせば、きっとキスをすることになる。そうなれば、始まるべきことが始まるにちがいない。もしそうなれば、簡単に別れることは難しいだろう>って、葛藤していた。





で、手、伸ばさなかった。





あれは、彼女にとって大学が最後のころだったのだったけな。





青山学院の英文科にいっていて、トマス・ハーディを卒論にしていて、『テス』という題の小説なのだ、と教えてくれていた。ハーディっていうのはサマセット・モームの『お菓子とビール』の主人公にされて嘲弄されてしまった大作家だ。





ちょっと話は変わるけどね、子どものころ、まだ小学校の3年とか4年とかのころ、僕は、なんていうのかな、一種の貴種流離譚に取り憑かれていたんだ。





家族そろっての食卓で、父親がなんどもなんども、まるで念押しするように「オマエは橋の下から拾って来たんだ」って繰り返して言っていたんだ。





子ども相手にだぜ。





だから僕は、きっと自分は本当は皇族のご落胤なんじゃないかなんて思っていた。





英子が「えーっ!私もそうだった」と口をはさんだ。





「親が本当の親でない子ども、か。そうか、あなたも子どものころそんなことを思っていたの。不思議だね。幸せそうな子どもに見えたけどな」





「幸せな子なんて、この世にいるの?」





「えっ、なんだって。あなたは不思議なことを言うひとだね」





英子の顔には目じりの皺がほとんどない。それが彼女を年齢よりも若くみせている理由の一つなのだろうと思っていた。だが、問題は表面ではなかったのだ。心、だった。





三津野は英子の子どもが二人とも正式の結婚から生まれていないことを思いだしていた。大木から聞いていたのだ。奇妙な話だと思った。初めの子の父親が大木とも小学校の同級生の眼科の医者で、二人目の子の父親が最近死んでしまった斉藤峰夫という、広島興産なる不動産会社のオーナーだった男だ。三津野は滝野川不動産の仕事をつうじて広島興産の名前は知っていた。ローカルだが堅実な会社だった。しかし、その会社の専務が女性で、しかもオーナー社長の子どもを身ごもったなどとは知るよしもなかった。





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