「令和5年の年賀状」団塊の世代の物語(7)
Japan In-depth / 2024年8月16日 23時5分
「ああ、もちろん。疑問をもったことなんてないね、ゼロだ。だいいち二人とも僕に似てるからね。」
「そんな程度でのことでしょ」
「そういわれりゃそうだけど、間違いないよ。そう思ってる」
「いいのよ、それで、人の世の中は。みんなこの世はそんなものだと思って、生活に必死でいればいいの。私はそうだった」
英子の眉と眉が寄る。すると二つの眉の間になん本もの深いしわが刻まれた。花の女王は、夜の女王でもあるのかと三津野は感じた。モーツアルトの魔笛の夜の女王のことだ。三津野はあのソプラノの高音、コロラトゥーラを駆使した歌唱がたまらなく好きだった。あのディアナ・ダムラウの声が耳に入ると生理的に引き込まれてしまう。自分という存在が消えていってしまう感覚になるのだ。一時は毎朝、食事の前に大きな音で鳴らしていたものだ。
「あなたのご亭主も、僕とおなじに、おめでたくも浮世というものを信じていた。そして死んだ。」
「そう。だから保険金が入ったの」
「それで家族3人が生きていけるほどの?」
「そう。それ以上かな。5億だから」
「そんなに。
でも、あなたの人生物語は、あっという間に語られてしまったのかな。」
「どうかな。あなたもいろいろ訳ありなように、私も隠しごとがいっぱい。
でもね、私から告白したことはないの。
今回、あなたにしゃべるのが初めて」
「って、なん回言ったのかな、これまでに」
「ひどいことおっしゃるのね」
英子は視線を三津野からかずし、右斜めまえ10メートルのところに置かれた芥子の絵に移した。じっと見つめている。その視線の先にある日本画を三津野もみやる。
<美しい。芥子も英子も。どれだけの数の男がこの女性に惹かれ、人生を空費したことか。
それは、それに値したのか>
右側に座った英子の顔と芥子の花が重なる。そのすぐ下に白い胸がのぞく。
三津野は大木の言っていた水色のカーデガンとその下にあったという二つの膨らみの話を思いだした。それが、いま、62年経って、こんどは三津野の目のまえに存在しているのだ。
<なにをいまさら>
それにしても、白い。大きな胸を秘めた襟もと。
<どれも同じだったのに、そのたびに違う>
「5億円の使い道、未だ話してないでしょ。
あの5億円が私の次の世界を開いてくれたの」
「そうだ、1989年というとバブルの時代だからね」
「私は、広島興産っていう不動産会社に勤めていたから、不動産を買う気はしなかった。怖くて。だから預金のまま置いていた。あのころは金利も高かったし。5%はあった。毎年2500万も金利が入ってたの。」
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