1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「令和5年の年賀状」団塊の世代の物語(7)

Japan In-depth / 2024年8月16日 23時5分

先に来て座っている三津野にむかって、大木は頭をさげながら声をかけた。





「そうだったね、あなたの事務所って、昔は青山ツインにあったんだった」





答えた三津野の顔には、一刻も早く話を切り出したいという表情があふれていた。





ちょうど20年前に、大木は今の山王パークタワーに移転したのだった。





大木が、事務所を広げたい、ついては350坪を超えるから二つのフロアにまたがる、だから上下を貫く内部階段を設置したいとツインビルの管理担当者だった服部さんに相談をもちかけると、彼は親切にも、「先生、このビルじゃタッパからもワンフロアの面積からも限界がありますよ。この際です、良かったら永田町の山王パークをご紹介しますから、そこに移ってはいかがですか」と言ってくれたのだった。タッパというのは天井高のことだ。





青山ツインは大木にとってセンチメンタルバリューのあるビルだった。





大木が未だ雇われ弁護士だったとき、アンダーソン・毛利・ラビノウィッツという法律事務所のアソシエートという身分だったときのことだった。29歳半から35歳半までのまる6年間、丸の内のAIUビルの6階で働いた。その場所は今では日本生命のビルに建て替わっている。AIUビルはエアコンが10数階のビルなのに縦に4っつに分かれているという、いかにもアメリカ人の設計したビルだった。ワンフロア―だけを冷房するということができない仕組みなのだ。





畳敷きの部屋ながらコタツのように脚が入れられるようになった部屋だった。大木が座るやいなや三津野が話し始めた。なにを急いでいるのかと、やはりと感じながらも大木は不思議な気がした。そんな三津野はこれまで一度も見たことがなかったのだ。





「高校時代、僕は大学に入ったらきっとこの人と性関係をもつんだろうなと思っていた女性がいた。同じ学年の女性だ。でも、その人は学者になる道を選んで、まっしぐらに進み始めてしまった。縁がつながっているんだと思っていたけれど、本当はなかったっていうことなのかな。わからない。彼女がその後どんな男性関係をもったのかも、しらない。





どういう経緯だったか忘れたけど、英子さんにそんな話をしちゃったんだ」





「そしたら『フーン、どんな人なの?』ってきかれたんでしょ」





「参ったな、さすが弁護士さんだな。そのとおりなんだよ」





「よせばいいのに、調子に乗ってグラマーだったとか口走ったんじゃあないでしょうね」





「そんなこと言うもんか。第一、グラマーなんかじゃなかったからな。ま、頑張り屋さんだなって答えておいたよ。」





この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください