ペルー フジモリ大統領死去 その数奇な運命
Japan In-depth / 2024年9月15日 19時0分
安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)
【まとめ】
・ペルーのフジモリ大統領が逝去した。
・大統領在任時は経済立て直し、左翼テロ鎮圧に成果を上げた。
・その過程で深刻な人権侵害が発覚、有罪となり晩年は獄中で過ごす、数奇な運命だった。
ペルーのフジモリ大統領が逝去した。
フジモリ氏が大統領在任中、インタビューした者として、様々な思いが胸中を去来する。
まず私とペルーの関わりから話そう。時は1996年12月17日のこと。私は当時フジテレビのニューヨーク特派員。赴任してまだ4か月目だった。夜、居酒屋で酒を飲んでいると、東京のデスクから電話がかかってきた。ペルーに飛べという。聞けば、「リマの日本大使公邸がテロリストに襲われ、700人余りが人質になった」という。余りに荒唐無稽な話に、「嘘でしょう?」思わずそう言った。長い長いペルー日本大使公邸占拠事件取材の始まりだった。
■ 日本大使公邸占拠事件とフジモリ大統領
すでにニューヨークは夜。ペルーへの直行便などない。とりあえず夜が明けるのを待ち、アルーバというリゾート島を経由して、翌日夜にリマに着いた。
日本大使公邸を占拠したのは、左翼ゲリラ、MRTA(トゥパク・アマル革命運動)だった。ネストル・セルパ率いる14人のテロリストが収監中の同志(セルパの妻を含む)の釈放などを訴え、当日天皇誕生日祝賀レセプションが開かれていた大使公邸に突入したのだ。痛恨だったのは、大使公邸の隣の空き家に彼らが潜んでいたことが事前に全く警備の網にひっかからなかったことだ。
とにかく、人質700人超は嘘ではなかった。招待客は、ペルー政府関係者、各国大使、外交官、ペルー在住の邦人など。しかし、MRTAは、人質の人数が多すぎてとても管理できないと判断し、高齢者や女性を次々と解放。結果、ペルーの政府幹部や軍関係者、そして青木盛久大使ほか日本企業のトップら、計72名が人質として残った。
▲写真 MRTAに占拠された日本大使公邸に人道物資を運ぶ国際赤十字のスタッフ(1996年12月17日ペルー・リマ)出典:Gregory Smith / CORBIS/Corbis via Getty Images
その後、人質の解放までなんと4か月を要した。私はペルー政府はすぐに公邸に突入するだろうし、解決はせいぜい1〜2週間だろうと考えていたが、その予想はすぐ裏切られた。日本政府が性急に突入しないよう、フジモリ大統領に強く求めたことが背景にある。ペルーは2020年までの累計で中南米における我が国最大のODA被供与国だった。(累計内訳:有償約4,200億円、無償約690億円、技術協力約590億円)
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