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団塊の世代の物語(12)

Japan In-depth / 2025年1月15日 23時0分

「そう、あなたは正しい。


そんな配慮と忖度ばかりしていて、肝心の経営力は二の次だ。


川野さんが好い例だな。川野さんを社長にしなかったばかりに、滝野川が三井、三菱を超えることができた貴重な機会を逸してしまった。一度失敗すると、人事だからね、10年単位で影響が続くんだよ。」


「まあまあ。」


年季のいった女将のような表情で英子が微笑んだ。


「僕を社長にしてくれたのは遠山社長だった。


その前の時点では、遠山社長の後任は管理畑出身の遠藤副社長だと衆目が一致していた。遠山社長の下で長い間、ポストをなぞるように後任の部署に就任し続けたからね。すくなくとも遠山社長の見るであろう目と周囲の人々が考えるところ、つまり人々の次期社長についての予想は遠藤副社長の一点に絞られていた。


しかし、遠山は僕を指名した。僕は、誰が見たって明らかに川野さんの子分だったよ。遠山社長が決して後継者にするはずのない人物だった。


しかし、遠山さんを選んだのは越前谷社長ということになっていたが、実は越前谷さんは川野を後継にと考えていたのだ。ところが結果的には川野さんではなく遠山さんを選んだ形になった。真実は、越前谷の前の社長だった丸山会長が遠山を選んで社長の越前谷に押しつけたんだけどね。丸山さんからも越前谷さんからも聞いたことだから、間違いない、確かだ。


遠山さんにはそうした自分が社長になるについての経緯が複雑な影を落としていたのだろう。自分のコピーではいけない、という強迫観念にも似た思いが、川野さんの子分ということが明々白々だった僕を選ばせたとも言えたのかな。もう丸山元会長も越前谷会長もどちらも死去していたことも、遠山さんが自分だけの思いで後継社長を決めることを容易にした。


それに、僕が社長になった2007年はね。」


英子は三津野の言葉を遮った。


「そう、リーマンショックの前の年。ようく憶えている。私、新聞報道で知ったの。いえ、正確には地元の中国新聞の記者さんが教えてくれたのよ。『広島出身の三津野信介さんが滝野川の社長になります』って、息せき切って。彼、嬉しそうだった。スクープだったのかもしれない。『誰にも話さないでくださいね』って念押しされたもの。」


「へえ、じゃ同窓会誌以前の情報だ。」


「あなたのことなのよ。私が早耳で当たり前でしょ。いやねえ」


「恐れ入りました。


とにかく、クライスラービルは一日でも早く売るつもりだった。


だから、遠山社長への遠慮をしている余裕はなかった。遠山さんもそのことはよくわかっていてくれて、或る時「もう一回恋人に会いにニューヨークへ行ってくるか。丸山さんへのお別れのご挨拶でもあるからな。涙が出るかな。でも、あのクライスラービルってのは、一人消えればまた次の男性と、恋人が次々と名乗りを上げてくる。そんな女性をおもわせる建物だものな。未練の情なんてものは通用しない女性みたいなものだ。丸山さんには他にも報告があるしな。君に代わってすべてご報告しておくよ。君、なにもかもご苦労だったね。」


そうぼそっと漏らしたんだ。よくわかってくれていたんだな。


専務になっていた僕は、短く「はい、ご出張を手配いたします」とだけ申し上げた。


いつものプラザにスウィートをとった。買ったときの丸山さんもプラザ、売るときの遠山さんもプラザだ。そういえば、英子さん、あなたの定宿がプラザだったよね。」


「いやだ、私、本当に或る恋人とお別れの夜にあそこに泊ったのよ。」


「思い出す?」


「それが変なの、誰と泊まったのか思い出せない。」


「それほどいろいろな男性と泊まったってこと?」


この話は三津野にすこしも嫉妬を感じさせない。三津野はそういう自分を、透明人間のように感じていた。人ではない、ホテルなのだ。建物にすぎない。それになんといっても昔のことなのだ。もうその瞬間の英子は消えてしまって、どこにも存在しない。しかし、いまの英子は目のまえにいて、触れることもできる。


写真)イメージ


出典)DAJ/GettyImages


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