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団塊の世代の物語(12)

Japan In-depth / 2025年1月15日 23時0分

「いやだ、汗まみれになってるのよ、恥ずかしい」


「だからいいのさ。あなたのシャンプーや化粧品の香りには興味がない。


あなたの匂い、香りを感じたい。それは、誰でもが化学的にさせる匂いではないからね。あなたの汗、うれしいね。恥ずかしい?それは一段といいね。恥ずかしいこと、もっともっといっぱいしたいなあ」


「ありがとう。むかしだったら、いやーと言って逃げるところだけど、あなたがそういって私の髪に顔をうずめてくれるの、たまらなくうれしい」


と言ってから、英子は三津野に振り返ると


「でも、そのセリフ、何人目?」


と睨みつけるようにしてたずねた。


「いいのよ、ごめんなさい。何人目でもかまわない。今、あなたが目のまえ、いや背中のすぐ後ろにいて、私を抱いてくれている。あなたの胸と私の背中がぴったりとくっついている。油断するとお湯のなかで二人とも浮きあがってしまいそう。


この瞬間は、前とは違う、これからとも違う。いずれなにもかも消える。でも、今、こうして二人でじゃれあっている。」


「そのとおりだね。


併せて153年分の二つの塊だ」


「一つの塊」


「そうだった」


<そのたびに違っていて、でも、同じだった。いつも、何回目も>


三津野は過去を思いだすのは止めることにした。英子が目の前にいる、英子の肌と自分の肌が触れ合っている。もう過去なぞ要らない。


 


英子が特注したというオークラのバスローブをゆるく身に着ける。英子は鏡の前にすわって顔の手入れに余念がない。


「いい香りがする」


「あら、ありがとう。でも、ゲランの化学的な匂いよ」


「そうか。でも、僕にはこれがあなたの匂いだ」


「おやおや。別の女性がつけていても、そっちについて行っちゃダメよ」


「香りに惹かれて、ぼんやりとくっついて行ってしまいそうだ」


三津野は自分がおかしかった。78歳になっている。そうした自分が、こうして英子といる、いて、言葉を交わしている。明日は?来ないかもしれない。


「英子さん、あなたが僕を強引に手繰り寄せてくれなかったら、僕は、あのまま朽ち果ててしまったことだろうよ。それで良い、自分の人生はそれで十分だったと考え、悟ってすらいたつもりだった。もうこれでいいと思っていたのだ。


でも、あなたが僕の人生の定義を変えた。あっという間に、変えた。」


英子は鏡から顔をはずすと、三津野の唇を求めた。


 


「1989年、滝野川がニューヨークにあるクライスラービルを買ったことがある。」


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