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『侍タイムスリッパー』で“遅咲き”の安田淳一監督、貯金投入で「映画完成時の残高は7000円」

週刊女性PRIME / 2025年1月11日 16時0分

映画『侍タイムスリッパー』の安田淳一監督

「やりたいことをやらなあかん」一念発起して映画を撮り始めてから10年。自主映画として『カメラを止めるな!』以来の大ヒットを記録し、ヒットメーカーの仲間入りを果たした「遅咲きの新人監督」の素顔とは?

 その年、最も優れた新人監督に贈られる新藤兼人賞。2024年、その銀賞に57歳で選ばれたのは、安田淳一監督だ。

 本作『侍タイムスリッパー』の舞台は幕末の京都。会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)が密命を帯び長州藩士・風見恭一郎(冨家ノリマサ)と刃を交えた刹那、雷鳴とどろき新左衛門が現代の撮影所にタイムスリップ。斬られ役として生きていく見どころ満載のコメディー時代劇だ。

 予算も限られた自主制作の時代劇。ところが思わぬ大ヒットを記録する。'24年8月17日に池袋シネマ・ロサ1館のみで公開されるや、

「笑えて泣ける傑作」
「エンドロールを待ちきれずに拍手が起きた」

 など熱いコメントが殺到。SNSで拡散され評判が評判を呼び、大手配給会社『ギャガ』が加わり、松竹系・東宝系のシネコンでも上映されると10月には観客動員ランキングでトップ10入り。興行収入でも8億円を突破している。

今作の制作費は、時代劇にもかかわらず、わずか2600万円と激安。自主映画の大ヒットといえば、'17年に公開され、興行収入31億円を突破した『カメラを止めるな!』以来の快挙です」

 インディーズ映画に詳しい映画評論家の島右近氏はそう語る。しかし自主制作なのに、なぜ安田監督はお金がかかる時代劇を作ろうと決心したのか。

役所広司のCMと深作欣二監督の名作がヒントに

「時代劇、歴史劇ジャンルの映画企画コンテスト『京都映画企画市』に応募してみないか。そういったお誘いがあり、その時ふと頭に浮かんだのが役所広司さんが現代にタイムスリップする宝くじのCM。それがヒントになって今作が生まれました」(安田監督、以下同)

 だが「侍×タイムスリップ」だけでは、ドタバタコメディーで終わってしまい、それだけでは2時間もたない。

「そこで思い出したのが、同じ撮影所を舞台にした深作欣二監督の名作『蒲田行進曲』。“階段落ち”に匹敵する山場をどうしようかと思いついたのが、真剣を使った殺陣で勝負するというものでした

 そこから幕末を舞台にした「佐幕派(会津藩)vs倒幕派(長州藩)」の構図が生まれてきたとも話す。企画もユニークで、脚本も面白いと評価されたものの、自主映画では時代劇を作るなど、不可能に決まっている。

 そう諦めかけていた矢先、思わぬところから救世主が現れた。その救い主こそ、東映京都にその人あり、と謳われ、傑作時代劇『水戸黄門』(TBS系)をはじめ、数々の時代劇を手がけてきた進藤盛延プロデューサーである。

「東映京都撮影所から呼ばれて行くと、進藤さんの部屋に案内された。すると進藤さんはじめ、美術部さんや衣装部さんたち、時代劇を支えてきたトップレベルの職人さんたちが勢ぞろいしていました。その人たちがホンが面白いから、やりたいと言ってくれたんです。もう涙が出そうになりました」

 時代劇の撮影のない7月、8月なら、オープンセットを安く使える。さらに、美術や衣装の値段なども想像していた半分以下。映画屋の心意気がありがたかった。
 それでも小さいマンションが買える金額。自主映画監督にとっては大金だ。

京都とカナダでの上映から奇跡が始まった

僕は1500万円の貯金を全部つぎ込みスポーツカーを500万円で売り飛ばすと、国から補助金600万円をもらって2600万円の制作費を用意しました。
 クランクアップのときには銀行の残高がわずか7000円。綱渡りに次ぐ綱渡り。本当にできあがるのか、撮影所の人たちもハラハラしながら見守っていました」

 撮影所のスタッフをはじめ、多くの人たちに助けられ、なんとか完成にこぎつけた『侍タイムスリッパー』。

 '23年、京都国際映画祭の特別招待作品として上映されると場内に響く笑い声、エンドロールを待たずに拍手が湧き起こった。

 さらに安田監督は、『カナダ ファンタジア国際映画祭2024』に招待され、勇んでカナダに乗り込んだ。すると香港の大作娯楽映画を抑えて観客賞金賞を受賞。スタンディングオベーションに包まれ、その時「これはすごいことになる」と直感した。

 これが自主映画の金字塔“カメ止め”に続く奇跡の幕開けとなった。

 ところで新たな伝説をつくった『侍タイムスリッパー』の生みの親。安田淳一とは一体どんな人物なのか。

 京都府の南部、京都市と奈良市のほぼ中間に位置する城陽市で、安田は先祖代々の稲作農家に生まれた。大阪経済大学に在学中から映像制作を開始。これまで平安神宮などでの結婚式や幼稚園の発表会、イベントの演出などを幅広く手がける事業を一人で切り盛りしてきた。

ビデオ撮影の師匠から“カッコいい映像を撮るのではなく。お客様が喜ぶ映像を撮るのがプロ”と教わりました。この言葉を肝に銘じて仕事をしているうちに、6000人規模の大型イベントを仕切れるまでに仕事は大きくなりました」

一念発起して商業映画に挑戦

 その一方でショートムービーを撮り、小さな映画祭に出品するようになる。すると、

「やりたいことをやらなあかん」

 という気持ちがふつふつと湧き上がり、一念発起して商業映画にチャレンジする。

 '14年には現代的な犯罪に立ち向かう昭和のテレビヒーローをモチーフに描いた映画『拳銃と目玉焼』を公開。東京や大阪をはじめとする大都市のシネマ・コンプレックスのレイトショーで上映されるも、およそ750万円かかった制作費を回収することはできなかった。

 それから3年。'17年には父の逝去により、30軒分の水田を預かる稲作農家を否応なしに継ぐことになった若い女性の奮闘ぶりを描いた映画『ごはん』を公開する。映画の評判は上々。シネコンのほかにも全国の公民館などで36か月以上公開され、400万円の制作費を回収することができた。

 しかし安田自身もまさか『ごはん』のような状況に自身が陥るとは予想していなかった。

「『侍タイ』の撮影も終盤に差しかかった'22年11月30日。父が脳出血でいきなり倒れ、半年間意識不明のまま帰らぬ人となりました。一度始めたことは最後までやり抜け。子どものころ、父に言われていた言葉を胸に、なんとかクランクアップ。

 翌年から父の後を継いで米作りを始めました。ところが冬場の荒起こしから田植え、水管理、草刈り。稲刈りに乾燥、JAへの供出まで、本格的な米作りは初めて。今の自分ではとても無理だと、預かっていた田んぼをほとんど返したとはいえ、今も一町半(約1.5ヘクタール)7枚の田んぼで米を作っています。

 いつかはおいしいお米を作りたい。日本の農政にいろいろ言いたいことはある。でも、まずは自分で納得するお米を作りたい。父や祖父が守ってきた田んぼを僕も守っていきたい」

“世界”を見据え夢はふくらむ

 映画『侍タイムスリッパー』のヒットで映画監督としても、今後の活躍が期待される。

「時代劇にこだわっているわけではありませんが、忍者と相撲と侍は日本が世界と勝負できる強み。『水戸黄門』や『遠山の金さん』(テレビ朝日系)のような明朗快活な勧善懲悪時代劇と同時に、若い人たちがツッコみながら見られるシンプルな娯楽時代劇としてチャンスがあるのでは、と思う。

 大ヒットした『SHOGUN 将軍』をはじめ、配信ドラマの時代。世界に通用するためには、なんといっても脚本が大切です。何人かの脚本家とチームで本当に面白いシナリオを書く体制で映画作りをしていかないと、世界に通用するのは難しいのでは?」

 いずれは尊敬してやまない山田洋次監督の『男はつらいよ』のような作品を撮るのが夢だと語る安田監督。

 57歳でヒットメーカーの仲間入り。今後の作品を大いに期待したい。

取材・文/KAPPO INLET GROO

 

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