ディープスロート女優の伝記映画『ラヴレース』と米ポルノ解禁の歴史

東京ブレイキングニュース / 2014年3月4日 10時0分

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「ディープ・スロート」の主演女優リンダ・ラブレイスの伝記が映画になった。3月1日から公開される「ラヴレース」だ。主演は映画版「レ・ミゼラブル」でコゼット役だったアマンダ・セイフライドというから、ちょっと驚かされる。あの子が「ディープ・スロート」をねぇ......。

「ディープ・スロート」という言葉を聞いても、ネット時代の今、反応する読者は少ないかもしれない。しかし50代以上の男性に「ディープ・スロート」という映画タイトルは特別の響きがある。なにしろそれは、アメリカで始めてメジャー公開されたハードコア・ポルノだからだ。ネット時代になり、無修正ポルノは珍しいものではなくなった。若い世代にとって、AVとはモザイクのかからない、セックスそのものをストレートに映した映像を意味するに違いない。しかし日本において無修正ポルノの氾濫が始まったのは「裏ビデオ」と呼ばれるビデオテープ商品が普及した80年代以降であり、およそ30年ほどの歴史しかない。しかも少なくとも00年代まで、日本のポルノの主流はモザイク修整入りのパッケージAVだった。

 アメリカにおいても、無修正の映像が堂々と世の中に出回るようになったのは70年代に入ってだから、それほど長い歴史があるわけではない。第二次大戦が終わり、世界を解放的なムードが覆いはじめると、まずヨーロッパからポルノ解禁の動きが始まった。68年のデンマークを皮切りに、ノルウェー、西ドイツ、フランスと、70年までに西側諸国で続々とポルノが解禁された。

 ところがアメリカはポルノ解禁には消極的で、68年、当時の大統領ジョンソンは「わいせつとポルノに関する諮問委員会」(Commission on Obscenity and Pornography ちなにみ日本ではこの委員会の報道から"ポルノ"という言葉が普及したようだ)を設置して、まずポルノの社会的影響を調査させるのである。70年に報告された結論は「ポルノの有害性は認められず、よってただちに解禁すべき」であったが、この時代の大統領、共和党のリチャード・ニクソンは報告書を認めず黙殺した。

 しかし映画業界ではヨーロッパ・ポルノ上陸の影響もありポルノ解禁への熱は高く、72年、見切り発車の形で製作・公開されたのが「ディープ・スロート」だった。同作は空前のヒットとなり、以降、「グリーンドア(Behind the Green Door)」「ミス・ジョーンズの背徳(The Devil in Miss Jones)」といったハードコアポルノが続々と公開され、あっという間にハードコアポルノが全米を覆いつくすことになる。

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