岡山小5女児監禁事件とメディアの「オタク差別」を考察する

TABLO / 2014年7月25日 12時31分

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Photo by Jordy Meow

 先日アップした記事中に日本語が下手くそな箇所がありましたので、まず最初にそれをお詫び致します。

(http://n-knuckles.com/case/society/news001588.html)

 この記事中に「誰かひとりでもパチンコやシングルマザーの存在自体を批判・否定したのか?」といった内容がございますが、これはアナウンサー・番組MC・ワイドショーのコメンテイターなど、メディア(特にTV報道)を指している言葉です。文章が下手くそで申し訳ありません。

 という訳で、今回はここ何回かアップしている表現規制や報道姿勢への批判記事の補足的な内容になるが、テーマは『差別が可能になる魔法の隠語・表現』についてである。

 はじめに言っておくが、新聞・雑誌もTVの報道番組やワイドショーも、すべて商売としてやっているという点を頭に入れていただきたい。新聞社や昔気質の出版人らはまだ品格を守るために踏ん張っている方だとは思うが、致命的にモラルもへったくれも無くなっているのがテレビだ。

 テレビ屋は数字を取るためにとにかくインパクトを再優先する。例えば東日本大震災の時など、何度も何度も津波で街が流される映像や、「これは意図的に爆発させて安全を確保したものなので問題ありません」などといった冗談では済まない有識者のコメントと共に、福島原発が吹っ飛ぶ映像ばかりを垂れ流していたが、あれもインパクトを優先したがための結果だ。

 その割りを食ったのが「ひとの命のために本来優先して流すべき情報」である。安否確認や各地の避難所や交通機関の状況など、報じるべきネタはいくらでもあったにもかかわらず、テレビ屋が選んだのは破壊や絶望の絵だった。あれはメディアスクラムが最も醜い形で具現化した例と言えるかもしれない。

 それに比べたら、個人がTwitterなどでまとめていた情報の方がよっぽど役に立ったと東北に住む知人らに言われたことがあるが、あの大災害の時ですらそうなのだから、テレビ屋の感性はずっとこのままと諦めた方がいいだろう。

 そんな品性下劣なテレビ屋が「インパクトがあって確実に数字が取れる!」と好物にしている内のひとつが「○○○イのお披露目」だ。ただし、そうとは言ってもネット住民のような好き勝手な罵詈雑言をぶつける訳にはいかないから、尤もらしい表現方法を使うことになる。

 直近で言うと、海外でも報じられて名物男的なポジションになってしまった野々村元県議が解り易いだろう。彼には数々の不正疑惑があり、追求されて当然の存在ではあったのだが、あの記者会見が面白すぎ、それをテレビ屋が何度も何度も繰り返し流すものだから、単に「○○○イをみんなで笑っているだけ」という、そもそもの論点が何だったか解らない状態に成り下がった。

 少し古い話になると、四国で起きた事件で我が子を殺された父親を、当初から犯人と決め付け、彼の人となりばかりを追いかけ、また報じていたワイドショーが非常に多かった。みのもんたなどは父親に対して名指しで暴言をぶつける始末である。

 テレビ屋は何か事件が起きると、まず解りやすくデフォルメし、インパクトのある情報(映像)を流し、それによって視聴率を稼ごうと考える。この解りやすくデフォルメする部分で、適当にオタクだなんだとレッテル貼りしてみたり、我が子を殺されただけの父親を奇人変人扱いして犯人だと臭わせてみたり、野々村元県議の号泣記者会見をMAD動画かというほど繰り返し流してみたりといった手が加えられる。

 こうしたテレビ屋の手法によって、震災の際は報道して然るべき情報に時間を割かなくなり、野々村元県議の場合は事の重大さや地方議員の無茶苦茶さへの追求が吹っ飛び、四国の幼児・女性殺害事件の際には完全なる被害者である父親が公然と変人扱いされた上に犯人と疑われるといった酷すぎる状況に陥った。インパクトを優先したが為に本題からズレまくり、大事な情報が隠蔽され、また人々があれこれ考える機会を喪失してしまったのである。

 テレビ屋がなぜこのようなゲスな報道を続けるのかといえば、それで数字が取れるから(=金に替わるから) だ。理由はただそれだけである。

 しかし報道の世界には監視機関もあるので、あまりにも露骨な差別表現や個人攻撃は許されない。ではどうするかというと、レッテル貼りや「なんとなくにおわす」といった陰湿な手法を採る。

 ハッキリと「ここに○○○イがいますよ~」とは言えないから、尤もらしい識者のコメントをくっつけつつ、野々村元県議の記者会見映像を視聴者が飽きるまで流し続ける。それを見れば誰もが「あ~○○○イだ~」と思うだろう。

 岡山児童誘拐事件にしても「アニメ・マンガ・ゲームのせいで~」「オタクだから~」と言っておけば、ワイドショーの顧客層(例えば老人や主婦層)はオタク文化の事など深く知りはしないだろうから「オタクだからか、そうかそうか」と納得するだろう。

 ワイドショーの連中は「○○○イ」という単語が使えないから、隠語として 「オタク」と言い換えているだけであり、結局のところ「わ~○○○イだ~」と言いたい(思いたい)人々のためにデフォルメしているだけなのだ。正確な情報を伝えたいのではなく、メインの顧客を満足させられればそれでいいという思想なのだから、「オタク=アニメ・ゲーム」という前時代的な切り口にしかならなくて当たり前である。

 しかし、ここでちょっと考えて欲しい。確かにオタクといえばアニメ・マンガ・ゲームだった時代もあるが、その単語をメディアが面白がって使い倒した結果、今では女性タレントが「私って○○オタクなんですよぉ~」と公言するまでになった。何か趣味を持った人間というだけの意味で使われるようになったのである。

 さて、こんな状況でワイドショーなどが言うオタクとは何を指す言葉なのだろうか? あまりにも不思議な言葉の使い方である。

 ところが、ここでまた話がひっくり返る。オタクという単語の元々の意味を思い出してみよう。

 オタクとは、元々はコミュニケーション能力に問題があり、他人を呼ぶ際に 「キミ・アナタ・オマエ」 といった二人称が上手に使えず、手で口元を抑えながら伏し目がちに「ところで、おたくは○○ってどう?」などのように気色悪く会話するような人種を「おたく・おたく族」と呼んでいた事に由来する。 そこに独特のファッションセンスや、リュックにビームサーベルのようにアニメポスターを刺すといった外見が加味され、オタクという言葉が指す人種のテンプレートが完成した。このように単語の誕生の時点で多分に差別的な意味合いが込められた蔑称だったのである。

 私が実体験した限りでは、90年代辺りまではゲームやアニメなどの愛好者が集まる場所で「お前オタクだな」などとは、口が裂けても言ってはならなかった。そんな言葉を吐いたが最後、相手は顔を真赤にして 「ボクはオタクじゃない!」と掴み掛かって来たものである。オタクとはそれくらいの差別用語であり、「真性のオタクほどオタクと呼ばれると激高する」などと言われ、オタクほどオタクを毛嫌いし、自分はそれとは違うと主張するという妙なネジレが生じた。

 その時代を知っていると、実は今ワイドショーが使っている「オタクだから」という表現は、(良い悪いは別として)言葉の使い方として非常に正しいと思えてしまう。

 ところが、先にも述べたように今ではオタクという単語はもっとライトに使われるようになってしまった。テレビ屋は自分達で言葉の意味を変えてしまったがために、「○○○イ」の代替として「オタク」という単語を使ったところで、情報に疎い(または興味が薄い)ワイドショーの視聴者程度しか納得させられなくなってしまったのである。

 この辺の無様さを笑いたいところではあるが、私としてはテレビ屋がオタクという単語を本来の使い方に戻したという点を評価して、こう提案させていただこうと思う。

「オタクを放送禁止用語にしませんか?」

 オタクという単語は○○○イと同じような意味の差別用語として使われていたのだから、○○○イが放送禁止用語であるのと同様に、オタクもまた放送禁止用語にすべきである。「○○○イだから犯罪を犯す」と言えないのだから「オタクだから犯罪を犯す」とも言えないのが当然であろう。

 そうなると児童ポルノだなんだといった話題を報じる際にオタクというレッテルが使えなくなり、効率よく印象操作が出来なくなると思うが、それも仕方がないだろう。異常犯罪が起こった場合に「○○○イ」という便利な言葉が使えない現状に我慢できているのだから、オタクが使えなくなっても大した問題にはならないはずだ。言葉の誕生の時点で差別用語だったのだから、それが今の今まで平然と使われていた事がおかしいのである。

「オタクなんて差別用語を使うな! ヘイトスピーチを許すな!」 という事だ。

 もし「オタクとはそもそも異常者を指す酷い差別用語である」という歴史的な事実を突き付けても、オタクが放送禁止用語や差別用語として公に認めて貰えないのであれば、それこそが本当の意味での差別である。

Written by 荒井禎雄

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