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SL人吉が引退、名残惜しむ乗務員、技術者 老朽化に部品調達、技術者確保難しく

共同通信 / 2024年4月17日 8時1分

「SL人吉」の機関室で、石炭を投入する「火室」をうかがう機関助士=2024年3月7日、熊本市(超広角レンズで撮影)

 JR九州は3月23日、人気観光列車「SL人吉」の運行を終えた。101年前に製造され、現役としては国産最古の蒸気機関車(SL)の老朽化に加え、部品調達や技術者確保が難しくなったため。その型式から「ハチロク」の愛称で親しまれており、ラストランを控えて鉄道ファン、乗務員や技術者からも名残を惜しむ声が上がった。

 「カンカン、カンカン…」。3月7日早朝、熊本市の熊本車両センターでは鋭い金属音が響いていた。部品に緩みがないか、ひびが入っていないか。その日乗務する機関士と機関助士がペアとなって出発前の点検を入念に行っていた。前日昼から寝ずの番で石炭を継ぎ足して保温したかまで、徐々に圧力を上げていく。

 「味覚以外の五感を全て使って運転する」と説明するのは、蒸気圧の管理を担う機関助士仮屋諒(かりや・りょう)さん(37)だ。SLの力強さに魅了され、電車や気動車の運転士と13年間掛け持ちしてきた。夏場は50度近くまで上がるかまの前で石炭を投入し続ける。「SLには先輩から受け継いできた歴史と愛がある」と語る。

 相棒の機関士原孝祐(はら・こうすけ)さん(48)は初乗務で、ボイラーの不調で蒸気圧が上がらなかったことが忘れられない。運転中の楽しみは手を振る沿線住民やファン、乗客の笑顔。「笑顔を最後まで運びたい」と力を込める。

 熊本市の団体職員豊福尚旦(とよふく・たかあき)さん(34)は2024年1月、貸し切りツアーで乗車。「動くSLを見たことがなく最後のチャンスと思って申し込んだ。引退は残念」と話した。

 「ハチロクは嫌いだった」とはにかむのは、36年間検査・修繕を担ったJR九州エンジニアリングの整備士玉井明人(たまい・あきと)さん(67)。日豊線を走るSLを見て育ち、国鉄に入社後は北九州市の小倉総合車両センターであらゆる鉄道車両に携わってきた。

 SLは“別物”だった。「一つ一つが手作業で失敗が許されない。妥協が故障につながってしまう」と気が抜けない。6年に1度の解体検査では、油やすすで汚れた部品を光るまで磨いた。引退には「寂しいの一言。一緒にやってきた仲間を思い浮かべる」と漏らす。

 SLの検査チームは10人前後で構成し、ベテランスタッフが若手へ技術をつないできた。熊本車両センターで日々の整備を担う山田恭輔(やまだ・きょうすけ)さん(42)は「今は若手が多く10年、20年後に復活しても対応できる」と自信を示す一方、SLを知る社員の減少を不安視する。

 玉井さんも「保存するにしても、要請があれば出向いてメンテナンス方法を伝えたい」と意気込む。SLの価値も訴える。「今は電気やディーゼルで走っているが、最初は蒸気機関だった。鉄道の歴史を継承するためにも火が入った状態で残した方が良い」

 SL人吉 JR九州が2009年に熊本―人吉(熊本)間で運行を再開させた観光列車で、蒸気機関車(SL)が客車をけん引する。2020年7月の豪雨により肥薩線が被災後は鹿児島線鳥栖(佐賀)―熊本間で運用した。SLは日立製作所が1922年11月に製造した「58654号機」で、国鉄前身の鉄道院が欧米を参考に量産した8620形の一両。長崎を振り出しに九州各地を巡り、1975年の廃車までの走行距離は300万キロ余りに達した。展示保存後、大規模修復で1988年に復活。観光列車「SLあそBOY」などとして活躍したが、2005年に車体の台枠のゆがみが修復不可能と判断されて運転を停止していた。

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