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善逸が「霹靂一閃」しか使えない理由 最後の「鳴柱」となる?

マグミクス / 2021年11月3日 16時10分

写真

■師の教え「ひとつのことを極めろ」

「壱ノ型 霹靂一閃」
「弐ノ型 稲魂(いなだま)」
「参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)」
「肆ノ型 遠雷(えんらい)」
「伍ノ型 熱界雷(ねつかいらい)」
「陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう)」

「雷の呼吸」に伝わる六つの型のうち、我妻善逸が使えるのは「壱ノ型」、ただひとつにすぎません。精いっぱい頑張って、眠らずに頑張って、育ててくれたじいちゃんこと、元鳴柱・桑島慈悟郎の期待に応えようと頑張って、それでも使えたのは霹靂一閃だけだったのです。

 目にも止まらぬ速さで移動し、同時に斬撃を繰り出す「霹靂一閃」は文字通り一撃で鬼を打ち倒す必殺の技です。しかしながら変幻自在の鬼気術を使いこなす強力な鬼は、黙って致命の一撃を喰らってくれるような甘い相手ではありません。「那田蜘蛛山編」で遭遇した下弦の伍・累を倒すには、まず毒を持つ無数の蜘蛛を突破し、なおかつ「家族」を構成する鬼を討ち果たさなければいけません。「無限列車編」に登場した下弦の壱・魘夢の首は、列車の床の下に隠されたすさまじく太いものでした。状況に応じてさまざまな型を使いこなさなければ鬼を討つことは難しい。元・鳴柱である善逸のじいちゃんがそれを知らないはずはありません。

 だからこそじいちゃんは善逸を毎日ぶっ叩き、ブチ切れてでも他の型を教え込もうとし、善逸も地獄のような鍛錬に耐えて期待に応えようとしたのでしょう。

※これ以降、まだアニメ化されていないシーンについての記載があります。原作マンガを未読の方はご注意ください。

 それでも「霹靂一閃」しか習得できなかった善逸をじいちゃんは見捨てず「ひとつのことしかできないならそれを極め抜け、極限の極限まで磨け」と、もっとも生き残る可能性が高い手段として「霹靂一閃」を極めろと諭しています。結果、善逸は六連撃「霹靂一閃・六連」を習得して那田蜘蛛山で生き残り、上弦の陸との戦いでは新たに習得した「霹靂一閃・八連」と「霹靂一閃・神速」を用いて炭治郎たちをアシストし勝利に貢献しました。

 しかし、なぜ善逸は「壱ノ型」しか使えないのか。その理由が作中で明かされることはありませんでした。ただ、非常に気になる点は存在しています。

 それは、鬼に堕ちた善逸の兄弟子・獪岳は「壱ノ型」だけ使えないことです。

■青天の「霹靂」 漢字から見る兄弟弟子の光と闇

「壱ノ型」しか使えない善逸。
「壱ノ型」だけ使えない獪岳。

 ふたりで組めばすべての型を使いこなせる、ひとりでは完全にはなれないふたり。じいちゃんもそれに気付いており、善逸と獪岳ふたりで後継だと判断しています。

 共に修行を積んだふたりですが、じいちゃんのところにたどり着くまでの過去は、真逆と言っていいだけの違いがありました。

 善逸は惚れた女に金を貢がされて、借金まみれになったところを救われて。獪岳は悲鳴嶼行冥の元で身寄りのない子供として寺で暮らしていました。そのとき遭遇した鬼にほかの子供たちを食わせるよう脅され、鬼を招き入れて自分はそのまま逃げだした後に、じいちゃんのもとで鬼狩りの剣士となっています。

 善逸も心に闇を抱えた人物ではありますが、獪岳はその比ではなく絶えず不満を抱えており、善逸からは「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ」と評されています。心に不満のみを抱えた人間に輝かしい未来が訪れるはずもなく、上弦の壱・黒死牟との最悪の出会いを経て鬼となり、善逸に討ち果たされました。

 善逸と獪岳の運命を分けた理由とは何なのか。これは「出会い」に他ならないでしょう。竈門炭治郎・嘴平伊之助と出会った善逸は共に戦い成長し、竈門禰豆子に恋焦がれるなかで健全な心を保てるようになっています。

「霹靂一閃」の「霹靂」。この文字には雷が激しく鳴り、落雷するという意味があります。霹靂という言葉を使った重要な表現としては「青天の霹靂」があり、「晴れわたった空に突如として現れる稲妻、突然発生する出来事」という意味があります。

「弐ノ型」から「陸ノ型」にも読みや漢字で雷を示す言葉が入っていますが、雷は本来雨やくもりのときに発生するものであり、「晴れ」とつながる言葉は「霹靂」のみです。

 おそらく善逸は本質的に「晴れ」すなわち「光」の存在であり、それがゆえに「霹靂一閃」しか使えず、本質的に「闇」を抱えた獪岳は「霹靂一閃」だけどうしても使いこなせなったのではないでしょうか。

 無限城で善逸は、新たに生み出した自分だけの型、「漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)」を繰り出し獪岳の頸を斬ります。

 火は周囲を明るく照らし。
 雷は闇の中を貫く閃光。
 そして神を数えるときの単位は柱(ちゅう)。

 おそらく善逸は、獪岳と決別し、光と共に在る己のなかの闇を見つめ、「火雷神」を習得し……。 新たなる、そして最後の「鳴柱」となったのかもしれません。

 とはいえこれはあくまでもひとつの考察にすぎません。いつか吾峠先生が真実を明かしてくれるまで、いくらでも考える幅がある。『鬼滅の刃』の奥深さは、これからもまだ探求の余地を残してくれています。これは本当に素晴らしいことなのです。

※禰豆子の「禰」は「ネ」+「爾」が正しい表記

(早川清一朗)

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