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<日本国憲法は危険>日本国民全員に世界人類のための玉砕を強いる「玉砕憲法」

メディアゴン / 2015年9月21日 7時30分

江川達也[漫画家]

* * *

我が国の憲法を変える必要がある。

日本国憲法の前文と9条は変えるべきだ。というのは何十年も前から言って来た。この憲法では、

1. どこかの武力のある国家の奴隷国として存在する。(今はアメリカ)…
2. 日本国民全員が世界人類のために全力で活動して死滅する。
3. 立憲主義を捨てて、解釈を柔軟にして現実にあわせてやりくりする。

という形になる。

戦後、ずっと、日本は1と3でやってきた。そして何かを拒否する時は憲法を言い訳にして来た。

本当の護憲派は、2だろう。しかし、日本の護憲派は、1と3でやってきた。(口では1を拒否しつつ) 2を真剣に行う人は本当に少ない。 真の護憲派だ。

戦場に丸腰で行って困っている人のために尽くし、いつ殺されても平気な人が真の護憲派だろう。こんな人は本当に少ないが、日本国憲法の前文と9条をまっすぐ解釈すると日本国民はそういうことを誓っている。

満州事変を成功させた陸軍参謀の石原莞爾は、戦争直後、というより戦争中の新憲法が出来る前から、この生き方を全国行脚して日本国民に説いてまわった。

 「身に寸鉄も着けず、誠心をもって永久平和のために働くべきだ。」

 「武器を一切持たず、人類のために全力で働くべきだ。」

聴衆は全国からおびただしい数、集まったが、何回目かで、マッカーサーに講演禁止の処分を受けた。しかし、真剣に「武器を一切持たず、死ぬ気で人類のために貢献する」ということは、可能なのだろうか。結局、その国家の国民は死滅するのではないか、と思ってしまう。

石原莞爾の主張はかなりの部分で共感するのだが、この「丸腰で紛争の中に入る」という部分には違和感を感じる。 石原莞爾をよく知る人に取材をしたことがあるが、戦前から、石原莞爾は、丸腰で危険なところに一般人を行かせてたようだ。

 「すごく、恐かった。でも、無事帰ってこれた。」

と行かされたというの人から直接聞いたことがある。無茶させすぎである。この辺が石原莞爾の謎であり、(ある部分、あちらの世界)石原莞爾研究が軍事的なものではなく、宗教的にならざるを得ないところだ。

石原莞爾は、第一次世界大戦の前から人類の平和のためにどう活動するべきか考え抜いてきた。 八紘一宇がその思想だ。 奇しくも、戦前の八紘一宇の精神が戦後のこの平和憲法の精神と一致するのである。武力を行使するかしないかだけだ。

戦場に丸腰か。戦場に武器をもって行くかの違いだけだ。

石原莞爾は、戦前に核兵器とその運搬手段の予言をしていた。そこまで兵器が進化したら、戦争に意味がなくなる、と。だから、そういう時代は、武装解除に徹する。しかし、その前に世界を崇高な精神と武力でまとめる、という理論だ。

しかし、核ミサイルや原子力潜水艦が出来てから50年以上たった現代。 武力紛争は絶えない。丸腰で戦場にいったら、殺される。そういうことを強要している日本国憲法は危険なのだ。

こんな危険な憲法は直すべきだろう。

憲法改正(改正ではなく、現実に即すべき。) 国民皆兵。核兵器保有。地下都市。これによって、現実には軍事的な独立ができ自国を保てる、と筆者は思う。

ただ、どこかに「丸腰で日本国民が玉砕覚悟で人類のために働く姿を目指してもいいんじゃないか?」という気持ちがある。 日本国民全員に裸で玉砕を強いている今の日本国憲法。そういう日本国憲法は嫌いじゃない。

また、世界の人の自由と平等のために玉砕しまくり、日本という国が滅亡するのもありなのかもしれない。チベットにいって、人が虐げられてるのを止めて、みんなで玉砕だ。 世界中に行って、人の人権を守って、みんなで玉砕だ。

日本国憲法は、「玉砕憲法」と呼ぶべきだ。

以下日本国憲法前文。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

以上が日本国憲法前文。誓ってますね。誓ってるんです。 全力で。これは、もう、現実に行えば、玉砕覚悟しかない。 玉砕憲法万歳!

特攻精神しかないですね。しかも、丸腰特攻。 犬死に覚悟。やはり、憲法は、変えないと。身が持ちません。しかし、美しい玉砕にも心惹かれる。

(本記事は、著者のFecebookエントリを元にした編集・転載記事です)



(江川達也)

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