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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第1回 創業者、岩垂邦彦

マイナビニュース / 2024年10月22日 12時0分

WEでは、事業運営は沖商会に任せ、WEはアドバイザーに留まること、親会社のAT&Tを含む一切の特許を新会社に提供することを明記するなど、大幅な譲渡案を提示。さらに、沖商会からの繰り返される付随条件の提案に対しても、それを受け入れる形で回答を行い続けた。だが、その繰り返しが最終的には裏目に出た。約3カ月に渡る交渉の結果、業を煮やしたWEは、「到底見込みなし。交渉を打ち切れ」と指示。この話は完全に決裂してしまったのである。

カールトン氏は、目的が達成されないまま、帰国の途についたが、その際に、沖商会との仲介役を務めた岩垂氏に、「WEの対日進出は既定方針であり、今回の提携が失敗しても変えるわけにはいかない。別の方法で新会社を設立するしかない。沖商会とは対立して販路を開拓しなくてはならないという激しい戦いが生まれるが、相手によっては、最初から米国式の経営手法を取り入れられるメリットもある」と語り、「あなたが、新会社創設の協力者になってくれないか」と提案したのだった。

岩垂氏は、その場での即答を避けたが、内心ではその提案を受け入れる決意をしていたようだ。

カールトン氏の帰国直後、岩垂氏は、こんなことを語っていた。

「自分としては、糸が切れたから、あとは知らぬというような無責任な扱いはできない。だが、沖氏の代わりに誰を推薦したものか。見渡すところ推薦したい適当な工場もない。仕方がないので、自ら進んで工場の経営にあたり、共同して会社を興し、日本側として働くよりほかにはないと考えた」

しばらくして、岩垂氏には、WEから共同経営による新会社設立の通知が届いた。これを受けて、WEによる新会社の発足が、岩垂氏によって推進されることになったのである。この出来事は、日本の電気業界にとって、一大センセーションとなった。まさに黒船が到来するような激震が走ったのだ。
そして、「NEC」がはじまった

岩垂氏は、新会社の設立に向けた活動を開始した。

だが、いきなり大きな壁にぶつかった。

それは、逓信省の入札資格を得るには、2年以上の電話機器の販売経験が必要である点だった。当時の電話機などは、逓信省に納め、そこから一般に流通されていた。NTT(日本電信電話)が発足するまでは長年に渡って、いわば官業として通信市場が形成されていったのだ。つまり、入札資格を取得しない限りは、電話機事業は成立しないことになる。

このとき、日本では、第1次電話拡張計画の推進によって、すでに電話機の需要は急拡大していた。そうした市場のなかでは、これから2年も待てる状況にはなかったのだ。

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