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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第7回 バザールでござーる、今日は番外編でござーる

マイナビニュース / 2025年1月1日 12時0分

NECスーパータワーの意味は、超高層ビルで初めてスーパーフレーム構造を採用し、次世代のインテリジェントビルという意味でのスーパーであり、東京タワーのように、上に行くほど細くなるタワーのイメージであることから、ビルではなく、タワーの名称を採用したという。

NECスーパータワーで採用したスーパーフレーム構造は、ビルを縦に貫く16本の柱を4本ずつの大柱にまとめて、巨大なトラス状の鉄骨梁で約10階おきに連結。関東大震災以上の地震にも耐えられるというものだ。

完成当初には、基幹伝送路として600Mbpsの光LAN環境を導入。メインフレーム8台、ミニコンピュータ1台、オフコン37台、パソコンおよびワープロが2100台導入されたほか、同社のC&C技術を活用したスーパーアラジン端末も2000台が導入され、最先端のインテリジェントビルといえた。

ちなみに、NECスーパータワーのロータリー中央にある石造りの「日本電気株式会社」の文字は、旧NEC本社の石造りの社屋から引き継いだものだ。

さらに、本社ビルの完成と同時に設置された「ひかり門」は、造形家である伊藤隆道氏によるゲートモニュメントであり、竣工当時は、本社ビルの先端に向けて、照明デザイナーの石井幹子氏の監修によるライトアップも行われていた。

誰もが知るあの人達が手掛けた「社歌」

NECは、1940年、初めての社歌を制作した。

作詞は北原白秋氏、作曲は山田耕筰氏。

童謡の「からたちの花」、「この道」などを世に送り出した名コンビによって、NECの社歌は作られている。

1940年は、紀元2600年を記念して、政府や各種団体、企業による盛大な祝典と記念行事が行われた年で、NECでは、同記念事業として社歌を作ることにした。そのとき、「とにかく当たってみよう」と、NECの担当者が北原白秋氏の自宅を訪問。作詞を依頼したところ、即座に快諾を得たという。

校歌や社歌でも、秀作を発表していた北原白秋氏は、NECが、絶えず新しい技術を開拓し、時代の先端を切り開いている状況に共鳴。この頃は、持病の糖尿病が悪化して、視力がかなり失われていたが、1939年秋に、NECの三田工場や玉川工場を訪問し、各種機器に手を触れながら、熱心に説明を聞き、それを詞に反映したという。

そして、作曲を山田耕筰氏に依頼することになったのは、北原白秋氏の推薦によるものであり、同氏も即諾。黄金タッグが組まれることになったのだ。

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